東京地方裁判所 昭和51年(行ウ)26号 判決 1988年5月19日
茨城県西茨城郡友部町東平二丁目一番八棟二〇一号
原告
常井産業株式会社
右代表者代表取締役
原田暉久
右訴訟代理人弁護士
梶谷玄
同
梶谷剛
同
村上孝守
同
岡崎洋
同
田邊雅延
水戸市北見町一丁目一七番地
被告
水戸税務署長
福島彌門治
右訴訟代理人弁護士
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右指定代理人
萩野譲
同
高野郁夫
同
根津正人
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告が原告に対してした次の各処分を取消す。
(一) 昭和四八年三月三〇日付け原告の昭和四三年三月一日から昭和四四年二月二八日までの事業年度の法人税についての更正及び重加算税賦課決定
(一) 昭和四八年三月三〇日付け原告の昭和四五年三月一日から昭和四六年二月二八日までの事業年度の法人税についての更正及び重加算税賦課決定(ただし、いずれも裁決による取消後のもの。)
(三) 昭和五〇年一一月二二日付け原告の昭和四六年三月一日から昭和四七年二月二九日までの事業年度の所得に対する法人税の更正並びに無申告加算税及び重加算税の賦課決定
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 昭和四三年三月一日から昭和四四年二月二八日までの事業年度(以下「四四年二月期」という。)について
原告は、四四年二月期の所得について、別表一の確定申告の項に記載のとおり確定申告をしたところ、被告は、同表の更正の項に記載のとおり更正(以下「四四年二月期更正」という。)及び重加算税の賦課決定(以下「四四年二月期賦課決定」といい、四四年二月期更正と併せて「四四年二月期処分」という。)をした。
原告は、四四年二月期処分について、同表の異議申立、同決定、審査請求及び同裁決の項に記載のとおり行政不服申立手続を経由している。
2 昭和四五年三月一日から昭和四六年二月二八日までの事業年度(以下「四六年二月期」という。)について
原告は、四六年二月期の所得について、別表二の確定申告の項に記載のとおり確定申告をしたところ、被告は同表の更正の項に記載のとおりの更正(以下「四六年二月期更正」という。)及び重加算税の賦課決定(以下「四六年二月期賦課決定」といい、四六年二月期更正と併せて「四六年二月期処分」という。)をした。
原告は、四六年二月期処分について、同表の異議申立、同決定、審査請求及び同裁決の項に記載のとおり行政不服申立手続を経由している。
3 昭和四六年三月一日から昭和四七年二月二九日までの事業年度(以下「四七年二月期」といい、四四年二月期及び四六年二月期と併せて「本件各事業年度」という。)について
原告は、四七年二月期の所得について、別表三の確定申告の項に記載のとおり確定申告をしたところ、被告は、同表の更正の項に記載のとおり更正並びに過少申告加算税及び重加算税の賦課決定をした。原告は、右各処分について、同表の異議申立(昭和四八年五月二二日)及び審査請求(同年九月二〇日)の項に記載のとおり行政不服申立をしたところ、同表の同決定(同年八月二〇日)及び同裁決(昭和五〇年七月二五日)の項に記載のとおりいずれも棄却された。
被告は、右裁決及びこれと同時にされた四六年二月期処分についての一部取消裁決を受けて、同表の過少申告加算税の取消の項に記載のとおり過少申告加算税の賦課決定を取り消して、同表の無申告加算税の賦課決定の項に記載のとおり無申告加算税の賦課決定をした上、同表の再更正の項に記載のとおり再更正(以下「四七年二月期更正」という。)並びに無申告加算税及び重加算税の賦課決定(以下「四七年二月期賦課決定」といい、四七年二月期更正と併せて「四七年二月期処分」という。)をした。
原告は、四七年二月期処分について、同表の異議申立(昭和五一年一月二二日)、同決定(同年二月二七日)及び審査請求(同年三月二八日)の項に記載のとおり行政不服申立手続を経由したが、未だ審査請求に対する裁決されていない。
4 被告のした四四年二月期処分、四六年二月期処分(ただし、裁決による取消後のもの。以下同じ。)及び四七年二月期処分(以下併せて「本件各処分」という。)は、原告の所得を過大に認定した違法なものであり、また、推計課税によるべきでないのにこれによつた違法なものである。さらに、四七年二月期処分は、行政不服審査法四〇条五項ただし書及び国税通則法九八条二項ただし書に規定する裁決における不利益変更禁止を実質的に潜脱する違法なものである。
よって、本件各処分の取消しを求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1ないし3の事実は認める。
2 同4は争う。
3 なお、行政不服審査法四〇条五項ただし書及び国税通則法九八条二項ただし書の規定は、処分庁が更正することを禁止したものではない。四七年二月期処分は、昭和五〇年七月二五日付け裁決により四六年二月期処分が一部取消しとなつたことに伴う調整であつて、何ら違法ではない(国税通則法七一条一号参照)。
三 抗弁
1 本件各仮名預金の帰属主体
別表四記載(同表の金融機関名の「常陽友部」、「県信友部」「常陽岩間」はそれぞれ株式会社常陽銀行友部支店、茨城県商工信用組合友部支店、株式会社常陽銀行岩間支店を指す。以下同じ略称を用い、他の支店に関しても同様の略称を用いる。また、同表の番号1ないし9の口座を、以下それぞれ「常陽洋子口座」、「県信洋子口座」、「藤株口座」、「田島口座」、「久松茂口座」、「長谷川口座」、「久松義雄口座」、「加藤口座」、「大貫口座」という。)の合計九口の仮名預金(以下九口を併せて「本件各仮名預金」という。)は、次のとおり原告に帰属するものである。
(一) 本件各仮名預金の昭和四三年三月一日から昭和四七年二月二九日まで(四四年二月期から四七年二月期まで)の入金の状況のうち、原告が振り出した手形の取立入金は別表五のA、原告の取引先が振り出した手形の取立入金は同表のB、取引先以外の者が振り出した手形の取立入金は同表のC、預金間振り替えによる入金及び預金利息の入金は同表のD、その他は同表のE、右のAないしEの各表の総括表は同表のFにそれぞれ記載のとおりであるが、同A、B及びFのとおり、原告が振り出した手形(以下特に断らない限り小切手も含む。以下同じ。)及び原告の取引先が振り出した手形の取立入金全体の件数で七四・二パーセント、金額で七四・三パーセントと原告に関係するものが圧倒的に多い上、同C及びFのとおり、原告と取引関係がないと推定される者の振り出した手形が入金全体の件数で三・五パーセント、金額で一・三パーセントと極めて少なく、しかも、そのなかには原告の取引先から廻し手形も含まれていると推定できる。そうすると、本件各仮名預金による取引の主体は、原告であると認めるのが相当であつて、本件各仮名預金の帰属主体は原告と認むべきである。そして、本件各仮名預金の取立入金は手形割引等による金融取引に係るものが圧倒的に多いと考えられるが、右金融取引は、もとより、原告の営業活動に付随するものというべきである。
(二) また、本件各仮名預金の入金されている手形の振出人のうち、有限会社大半商店(以下「大半商店」という。)及び常磐生コンクリート株式会社(以下「常磐生コン」という。)は、その帳簿に取引相手が原告である旨記載しており、この点からも、本件各仮名預金は原告に帰属するものというべきである。
(二) 本件各仮名預金を開設し、これを事実上管理していた者は、当時の原告の専務取締役であった常井茂男(以下「訴外茂男」という。)であるが、当時の原告の代表取締役社長であつた常井文男は、茨城県議会議員に選出されていたため、社長として常勤できない状態にあり、このため社長に次ぐ重要ポストである専務取締役の地位にあつた訴外茂男が事実上、原告の業務を執行しており、本件各仮名預金を利用した手形割引等の取引は、訴外茂男が原告の業務の執行として行つていた取引であつて、決して訴外茂男個人の取引ではない。
このことは、訴外茂男が本件各仮名預金を利用しての取引を行うだけの原資を有していなかつたこと及び同人が本件各仮名預金を利用した取引による所得につき税務申告をしていないことからも裏付けられる。
2 推計の必要性
原告は、本件各仮名預金を利用して、原告が振り出した手形や原告の取引先が振り出した手形等を、預け入れるなど手形割引等による金融取引を継続して行つていた。
しかしながら、原告は、右金融取引についてこれを明らかにする帳簿書類の備付けをしておらず、また、被告に対して本件各仮名預金の通帳等を提示しなかつたばかりか、被告係官が右金融取引の内容について最も熟知しているはずの原告の専務取締役訴外茂男に対し本件各仮名預金の入出金の起因となつた取引の事実関係を明らかにするよう再三要請したにもかかわらず、訴外茂男は、本件各仮名預金が原告に帰属するものであることを認めながら、単に「受取手形で割引できないものを取り立てた。」との総体的な漠然たる説明に終始し、「預金の内容は思い出したくもないし、通帳も印鑑もどこへやつたか分からない。」「内容については話せない。」「記帳したものは一切ない。」等と言を左右にして調査質問に協力せず、被告は、原告から本件各仮名預金に表現された取引についての具体的説明を一切得られなかつた。
そこで、被告は、やむをえず県信友部及び常陽岩間に赴いてそこに保管されている預金元帳、伝票等を調査しこれにより本件各仮名預金の入出金の解明調査及び取引先に対する反面調査を実施する等して本件各事業年度における本件各仮名預金に係る簿外取引による純資産増加額を計算し(資産負債増減法)、これを申告所得金額に加算して所得金額を計算して、本件各処分をしたものである。(なお、常陽洋子口座は、本件各処分の時にはその存在が判明しておらず、本訴提起後の調査によりその存在が判明したため、常陽友部は右調査の対象となつていない。)。
3 推計課税の合理性
資産負債増減法は、一定期間における正味資産の増加額を把えて所得金額を算定するものであるから、基本的には貸借対照表と同一の性格を持つものである。そして、貸借対照表が損益計算書とともに財務諸表の根幹をなし、両者の利益金額は必ず一致することが会計学上の公理であるから、資産負債増減法は、それ自体他の推計方法に比較して精度が低いなどということはなく、正当な利益金額又は所得金額を算定する方法の一つである。
本件各仮名預金の入金額のうちには、<1>原告振り出しの支払手形で現実には取引先に交付されないで本件各仮名預金に入金されたもの、<2>原告あてに振り出された手形の入金であるもの、<3>原告本店及び鹿島支店の総勘定元帳の受取手形勘定に計上されている手形の入金であるものが混在しているほか、<4>貸付金等金融取引に係る返済金等として入金されたものが存在していた。このうち、<4>については、入金されたものが貸し付け金の元金と利息とに明確に区分されておらず、しかも、原告及びその取引の内容について熟知している訴外茂男から右利息収入の算定方法等に関し具体的説明が一切得られなかつたのであるから、その利息計算を損益計算の方法により行うことは不可能であつた。
原告の簿外所得については、それが存在するのにその取引に係る帳簿書類等が得られないので、推計計算によらざるを得ない。ところで、所得金額を推計する場合において、真実の所得により近い数値を得るためには推計の基礎となる資料の確度が高いことが要請されるのであるが、本件では、原告及び訴外茂男の非協力により本件各仮名預金を利用して行われた金融取引等に係る資料が得られない以上、被告が銀行調査等によつて把握した預金等が最も確度の高い資料であり、この資料を基礎にした推計が合理的であることは明らかである。そして、右資料により原告の簿外所得を推計する方法としては、前記2の末尾に述べたような資産負債増減法が本件の事案に則した最も合理的なものということができるのである。
4 四四年二月期処分について
(一) 四四年二月期の所得
原告の四四年二月期の所得は、次の(1)ないし(4)の合計額一七四六万三五〇〇円である。
(1) 確定申告額 三七二万七四二三円
(2) 普通預金計上漏れ 六八八万一四五二円
右金額は、県信洋子口座の昭和四四年二月二八日現在の残高であり、四四年二月期末の原告の資産を構成する。
(3) 受取手形計上漏れ 三八九万九二四五円
右金額は、別表六の(1)記載の手形の合計金額であり、原告の昭和四四年三月一日から昭和四五年二月二八日までの事業年度(以下「四五年二月期」という。)に県信洋子口座に取立入金されたものである。右の手形は、いずれも四四年二月期に原告が割引依頼等を受けて取得したもので、同期末の原告の資産を構成する。
(4) 支払手形否認 二九五万五三八〇円
右金額は、別表七の(1)記載の手形の合計金額である。右の手形は、原告が四四年二月期に代車運賃、買掛金等の支払いのために振り出したもので、四五年二月期に県信洋子口座に取立入金されているが、四四年二月期末に支払済の債務である。したがって、右金額は四四年二月期末の原告の負債を構成しない。
(二) 四四年二月期更正の適法性
原告の四四年二月期の所得金額は、右(一)記載のとおり一七四六万三五〇〇円、これに対する法人税額は六一八万九九〇〇円で、いずれも四四年二月期更正と同額であるから、同更正は適法である。
(三) 四四年二月期賦課決定の適法性
原告は、本件各仮名預金を利用した手形割引等から生じた所得を仮装又は隠ぺいし、これに基づき四四年二月期の法人税の確定申告書を提出しているところ、昭和五九年法律第五号による改正前の国税通則法(以下単に「国税通則法」という。)六八条一項により重加算税の額を計算すると別表八の四四年二月期分の欄の八重加算税額の項に記載のとおり一五五万二二〇〇円となり、四四年二月期賦課決定における重加算税の額一五五万二〇〇〇円を超えるから、同決定は適法である。
5 四六年二月期処分について
(一) 四六年二月期の所得
原告の四六年二月期の所得は、次の(1)ないし(12)の合計額一億一三二一万〇三七四円から(13)ないし(19)の合計額九〇四二万六五〇四円を減額した二二七八万三八七〇円である。
(1) 確定申告額(欠損) △六五六万九七四八円
(2) 普通預金計上漏れ 二七九一万三四二九円
右金額は、昭和四六年二月二八日現在の次の仮名預金の残高の合計額であつて、四六年二月期末の原告の資産を構成する。
ア 田島口座 一九九万九五三一円
イ 久松茂口座 二一〇〇万円
ウ 長谷川口座 四九一万三八九八円
(3) 認定賞与 三〇〇万円
藤株口座から、昭和四五年八月二五日、二〇〇万円の払戻しがされ、常陽岩間の訴外茂男名義の同額の定期預金の原資となつた。また、県信洋子口座から、同年九月三〇日、一〇〇万円の払戻しがされ、県信友部の訴外茂男名義の同額の定期預金の原資となつた。右の合計三〇〇万円は、原告の専務取締役である訴外茂男の賞与と認定できるので、これを原告の四六年二月期の所得に加算する。
(4) 受取手形計上漏れ 七一三万一七二〇円
右金額は、別表六の(2)記載の手形の合計金額であり、四七年二月期及びその翌期(八万円のみ)に長谷川口座、田島口座及び加藤口座に取立入金されたものである。右の手形は、いずれも四六年二月期に原告が割引依頼等を受けて取得したもので、同期末の原告の資産を構成する。
(5) 支払手形否認 五三二万〇三一八円
右金額は、別表七の(2)記載の手形の合計金額である。右の手形は、原告が四六年二月期に代車運賃、買掛金等の支払のために振り出したもので、四七年二月期に長谷川口座及び田島口座に取立入金されているが、四六年二月期に支払済の債務である。したがつて、右金額は、四六年二月期の原告の負債を構成しない。
(6) 貸付金計上漏れ 二三九八万三六九〇円
原告の大半商店に対する貸付金の残高は、昭和四六年二月二八日現在二四一三万三六九〇円であつたが、原告は、うち一五万円しか帳簿に計上していなかつた。したがつて、その差額二三九八万三六九〇円は、四六年二月期末の計上漏れ資産であるので、これを同期の所得に加算する。
(7) 前期認定損貸付金戻入 一〇三八万一八一〇円
(8) 前期認定損不渡手形戻入 四一一万八四二〇円
(9) 前期認定損支払手形戻入 二三万八〇〇〇円
(10) 前期認定損借入金戻入 三四八三万三二〇〇円
(11) 前期認定損末払金戻入 一五一万八八一二円
(12) 前期認定損末払費用戻入 一三四万〇七二三円
(13) 前期加算預金認容 一四四〇万円
(14) 前期売掛金認容 一二二三万七八七一円
(15) 前期買掛金認容 七八二万七三一〇円
以上の(7)ないし(15)は、原告が四五年二月期の確定申告における決算確定額である資産負債の額に誤りを認め、別表一〇の修正後の欄記載のとおりに修正して公表帳簿にその旨記帳したので、それに応じて戻入(所得に加算)又は認容(所得から減算)をしたものである。
ただし、(14)に関しては、別表一〇の差額欄の売掛金の項の一八八四万六四四六円のうち、六六〇万八五七五円は株式会社協同通商に係るものであるが、この分については、四六年二月期以降に入金がないのに、四六年二月期及び四七年二月期の期末残高に計上されていないところ、これは貸倒損失等を理由とするものであるが、その処理は認められないから、四六年二月期及び四七年二月期の各期末に売掛金残高として残ることとなるため、認容することができず、その差額の一二二三万七八七一円のみを認容した。
(16) 前期加算普通預金認容 二七四万二九三九円
(17) 前期加算受取手形認容 八一〇万三四五七円
(18) 前期加算支払手形認容 一一九一万四八五五円
以上の(16)ないし(18)は、被告が昭和四八年三月三〇日付けで、原告の四五年二月期の所得金額について、別表一一の一記載のとおり確定申告額を下回る再更正をし、その再更正における所得金額の計算が別表一一の二記載のとおりとなるので、それに応じて認容したものである。
(19) 売掛金過大計上認定損 三三二〇万〇〇七二円
昭和四六年二月二八日現在で原告の帳簿に計上されている百竜建設工業株式会社(以下「百竜建設」という。)に対する売掛金三三二〇万〇〇七二円については、昭和四五年末に即決和解により受け取つた八五〇〇万円の手形により決済されており、四六年二月期末の原告の資産を構成しないので、過大計上として所得から減算する。
(二) 四六年二月期更正の適法性
原告の四六年二月期の所得金額は、右(一)記載のとおり二二七八万三八七〇円、これに対する法人税額は八一一万〇二〇〇円で、いずれも四六年二月期更正と同額であるから、同更正は適法である。
(三) 四六年二月期賦課決定の適法性
前期4(三)記載と同様の理由により、重加算税の額を計算すると、別表八の四六年二月期分の欄の八重加算税額の項に記載のとおり二四三万三〇〇〇円となり、四六年二月期賦課決定における重加算税と同額であるから、同決定は適法である。
6 四七年二月期処分について
(一) 四七年二月期の所得
原告の四七年二月期の所得は、次の(1)ないし(6)の合計額一億一〇七一万〇〇八〇円から(7)ないし(11)の合計額六六九四万八一一七円を減額した四三七六万一九六三円である。
(1) 確定申告額(欠損) △一一八七万六一三七円
(2) 普通預金計上漏れ 一七五七万九三四七円
右金額は、昭和四七年二月二九日現在の次の仮名預金の残高の合計額であつて、四七年二月期末の原告の資産を構成する。
ア 田島口座 六五五万〇四六一円
イ 長谷川口座 一一〇二万八八八六円
(3) 認定賞与 三二五万円
田島口座から、昭和四六年一〇月一九日一七五万円の払戻しがされ、県信友部の訴外茂男名義の同額の定期預金の原資となつた。また、長谷川口座から同年一一月二四日、一五〇万円の払戻しがされ、県信友部の訴外茂男名義の同額の定期預金の原資となつた。右の合計三二五万円は、原告の専務取締役である訴外茂男の賞与と認定できるので、これを原告の四七年二月期の所得に加算する。
(4) 受取手形計上漏れ 一六四七万七三七六円
右金額は、別表六の(3)記載の手形の合計金額であり、四七年二月期の翌期に田島口座、長谷川口座及び加藤口座に取立入金されたものである。右の手形は、いずれも四七年二月期に原告が割引依頼等を受けて取得したもので、同期末の原告の資産を構成する。
また、昭和四六年一一月二六日の常磐生コン振り出しの五三八万五〇〇〇円の手形(別表六の(3)13)については、昭和四七年五月二五日の支払期日に直接原告に対して現金で支払われており、本件各仮名預金には入金がない。
(5) 支払手形否認 五二〇七万九四二二円
右金額は、別表七の(3)記載の手形の合計金額である。右の手形は、原告が四七年二月期に代車運賃、買掛金等の支払いのために振り出したもので、四七年二月期の翌期に田島口座、長谷川口座、加藤口座及び大貫口座に取立入金されているが、四七年二月期に支払済の債務である。したがつて、右金額は、四七年二月期の原告の負債を構成しない。
(6) 前期認定損売掛金戻入 三三二〇万〇〇七二円
前記5(一)(19)記載のとおり、四六年二月期の売掛金から百竜建設に対する売掛金である右金額を減算したので、四七年二月期の期首売掛金が同額分減少した。そこで、同期の売上高が同額増額されることになるので、同期の所得に右金額を加算する。
(7) 前期加算預金認容 二七九一万三四二九円
四六年二月期に普通預金計上漏れとして加算した前記5(一)(2)記載の右金額を認容した。
(8) 前期加算受取手形認容 七一三万一七二〇円
四六年二月期に受取手形計上漏れとして加算した前記5(一)(4)記載の右金額を認容した。右の手形は、四七年二月期及びその翌期に本件各仮名預金に取立入金されている(なお、四七年二月期の翌期に取立入金となつた別表六(2)の17ないし20の手形については、同表(3)の6ないし9に掲記し、右(4)で四七年二月期末の原告の資産として計上した。)。
(9) 前期加算支払手形認容 五三二万〇三一八円
四六年二月期に支払手形否認として加算した前記5(一)(5)記載の右金額を認容した。右の手形は、四七年二月期に本件各仮名預金に取立入金されている。
(10) 事業税認定損 二五九万八九六〇円
右金額は、四六年二月期の所得に係る未納事業税相当額で、次の合計金額である。
ア 一五〇万円まで(税率六パーセント)九万円
イ 一五〇万円超三〇〇万円まで(税率九パーセント)一三万五〇〇〇円
ウ 三〇〇万円超二二七八万三〇〇〇円まで(税率一二パーセント)二三七万三九六〇円
(11) 前記加算貸付金認容 二三九八万三六九〇円
四六年二月期に貸付金計上漏れとして加算した前記5(一)(6)記載の右金額は四七年二月期に回収しているので、認容する。
(二) 四七年二月期更正の適法性
原告の四七年二月期の所得金額は、右(一)記載のとおり四三七六万一九六三円、これに対する法人税額は、一五九〇万一八〇〇円で、いずれも四七年二月期更正と同額であるから、同更正は適法である。
(三) 四七年二月期賦課決定の適法性
(1) 無申告加算税
法人税法七四条一項は内国法人は各事業年度終了の翌日から二か月以内に確定申告書を提出しなければならない旨規定しているところ、別表三の確定申告の項に記載のとおり、原告は、四七年二月期については事業年度終了の翌日から二か月を経過した後である昭和四七年五月一〇日に確定申告書を提出しているので、国税通則法六六条一項により、無申告加算税の額を計算すると別表八の四七年二月期分の欄の九無申告加算税額の項に記載のとおり六六万一八〇〇円となり、四七年二月期処分における無申告加算税と同額であるから、無申告加算税の賦課決定は適法である。
(2) 重加算税
前記4(三)記載と同様の理由により(ただし、右(1)記載のとおり確定申告書が申告期限内に提出されなかつたので、他の事業年度と異なり、国税通則法六八条二項により、税率は三五パーセントとなる。)重加算税の額を計算すると別表の四七年二月期分の欄の八重加算税額の項に記載のとおり三二四万八六〇〇円となり、四七年二月期賦課決定における重加算税の額二七八万四六〇〇円を超えるから、重加算税の賦課決定は適法である。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1について
(一) 冒頭の事実のうち、本件各仮名預金が存在することは認めるが、その帰属は争う。本件各仮名預金は、いずれも訴外茂男に帰属するものである。
(二) (一)は争う。本件各仮名預金の五〇〇件以上に及ぶ入金のうち、被告が原告と結びつく入金として具体的に示しているものは、その理由を示していないものを含めて僅か一三〇件と高々二割に過ぎず、このことから本件各仮名預金が原告に帰属するとの推定は成立しない。また、本件各仮名預金が原告に帰属するものであれば、原告及び原告の取引先の振り出した手形の入金が一〇〇パーセントとなるはずで、七四パーセントしかないという事実は、本件各仮名預金が原告に帰属しないことを示すものである。
(三) (二)のうち、大半商店及び常磐生コンの帳簿に原告が取り引き相手である旨の記載があることは認めるが、右各帳簿の記載はいずれも原告と原告の専務取締役であつた訴外茂男個人とを混同してされた不正確ないしは誤つたものであり、真実の取引相手は、原告ではなく、訴外茂男である。
(四) (三)について
本件各仮名預金を事実上管理していたものが原告の専務取締役であつた訴外茂男であること、当時の代表取締役社長が常井文男であり、茨城県議会議員に選出されていたため、社長として常勤できなかつたこと及び訴外茂男が本件各仮名預金に利用した取引による所得につき税務申告していないことは認め、その余の事実は否認する。
常井文男は原告の株式の過半数を有するいわゆるオーナー社長であつて、訴外茂男を監督して原告の経営に従事しており、訴外茂男が事実上にしても原告の業務を執行していたことはない。また、本件各仮名預金を管理しているのが訴外茂男である以上、特段の事情のない限り、本件各仮名預金は訴外茂男に帰属するものと認定するのが当然であり、さらに、本件各仮名預金の原資は後記五2記載のとおり訴外茂男の蓄財によるものであつて、本件各仮名預金を利用した取引等はすべて原告ではなく、訴外茂男個人がしていたものである。
なお、原告も本件各仮名預金を利用した取引等による所得を申告していないから、訴外茂男が本件各仮名預金を利用した取引等による所得を申告していないことをもつて本件各仮名預金が原告に帰属することの根拠とするのは不当である。
2 同2の事実は否認し、推計の必要性があつたとの主張は争う。
原告は、税務調査の当初より本件各仮名預金が訴外茂男に帰属するものであり、同人が行つている金融取引に係る金員が同預金に入出金している旨を述べるなど被告の調査に協力していたが、被告の係官は、本件各仮名預金が原告に帰属するとの誤信に固執して、原告の説明に対して聞く耳を持たないという態度であつた。また、被告の係官は、実額課税を目指して調査すれば、おそらく実額課税も可能であつたのに、右の誤信に固執してその誤信に沿つた杜撰な調査しかせず、そのため実額を把握することができなかつた。したがつて、推計の必要性を肯認することはできない。
3 同3は争う。資産負債増減法は、他の推計方法と比較して極めて精度の低いものであり、その適用のための前提条件を一つでも欠くときは、正確な所得を把握することはできず、その推計課税は違法となる。
前記1(二)記載のとおり、本件各仮名預金への入金のうち、被告が原告に結び付く入金として具体的に主張しているのは僅か二割に過ぎず、残りの八割のなかには訴外茂男に帰属するものが混在していることは当然予想されるものであり、したがつて、少なくとも、金額の大きいものについて逐一、原告に帰属することを調査したうえでなければ、資産負債増減法による推計は適法なものとはいい難い。
また、預金勘定を資産として把握するためには、預金が確定的に発生した所得の顕在化したものとして存在していることが必要である。ところが、本件各仮名預金は、その残高が日々に変動しており、ある一定の日における残高は当該日における資産を意味しておらず、この点からも預金勘定を資産とする本件の資産負債増減法による推計は適法なものとはいい難い。
さらに、被告の調査は、本件各仮名預金の原資及び本件各仮名預金から引き出した資金の行方等の重要な事実を全く調査していない杜撰なもので、本件における資産負債増減法による推計は正確な資料に基づかないものであるから、適法なものとはいい難い。
4 同4について
(一) (一)について
冒頭は争う。(1)の事実は認める。(2)のうち、被告主張のとおり、県信洋子口座に預金残高があることは認め、その余の事実は否認する。(3)及び(4)のうち四五年二月期に県信洋子口座に別表六の(1)及び別表七の(1)に記載のとおり手形が取立入金されたことは認め、その余の事実は否認する。
(二) (二)及び(三)は争う。
5 同5について
(一) (一)について
冒頭は争う。(1)の事実は認める。(2)のうち、被告主張のとおり田島口座、久松茂口座及び長谷川口座に預金残高があることは認め、その余の事実は否認する。(3)のうち、被告主張のとおり、藤株口座及び県信洋子口座から合計三〇〇万円の払戻しがされ、合計同額の訴外茂男名義の定期預金が設定されてことは認め、その余の事実は否認する。(4)及び(5)のうち、四七年二月期及びその翌期に長谷川口座、田島口座及び加藤口座に別表六の(2)及び別表七の(2)に記載のとおり手形が取立入金されたことは認め、その余の事実は否認する。(6)の事実は否認する。(7)ないし(19)は争う。なお、(14)のうち株式会社協同通商については、同社は四五年二月期に倒産しており、同期末において貸倒れの経理処理をしたものと思われる。
(二) (二)及び(三)は争う。
6 同6について
(一) (一)について
冒頭は争う。(1)の事実は認める。(2)のうち、被告主張のとおり、田島口座および長谷川口座に預金残高があることは認め、その余の事実は否認する。(3)のうち、被告主張のとおり、田島口座及び長谷川口座から合計三二五万円の払戻しがされ、合計同額の訴外茂男名義の定期預金が設定されたことは認め、その余の事実は否認する。(4)及び(5)のうち、四七年二月期の翌期に田島口座、長谷川口座、加藤口座及び大貫口座に別表六の(3)及び別表七の(3)に記載のとおり手形が取立入金されたこと、別表六の(3)13の手形の被告主張のころ現金決済されたことは認め、その余の事実は否認する。(6)ないし(11)は争う。
(二) (二)及び(三)は争う。
五 原告の反論
1 本件各仮名預金を利用しての金融取引の実態
訴外茂男は、本件各仮名預金を利用して個人で金融取引(以下「茂男個人金融取引」という。)をしていたが、その取引形態は、およそ次の五つの類型に分けられる。
(一) 原告がその取引先に振り出した手形を、訴外茂男が取引先の依頼により割り引いたもの。この原告振出しの手形は、商取引のほか融手取引に基づくものがあり、後者の取引では、原告とその取引先との間で同金額の手形の交換がされている。この(一)の場合は、原告振出しの手形が訴外茂男に帰属し、右手形金は本件各仮名預金に原告から入金されている。
(二) 原告がその取引先から受取つた手形を、訴外茂男が原告の依頼により割り引いたもの。この場合は、原告の取引先振出しの手形が訴外茂男に帰属し、右手形金は本件各仮名預金に右の取引先から入金されている。
(三) 原告の取引先の所持する原告以外の者の振り出した手形(当該取引先振出しの手形を含む。)を、訴外茂男が当該取引先から割引依頼その他原告と直接関係のない原因により交付を受けたもの。この場合は、右手形が訴外茂男に帰属し、後記(五)の類型に当るときを除き、右手形金は本件各仮名預金にその振出人から入金されている。
(四) 原告でも、その取引先でもない物の所持する手形を訴外茂男が右の者から割引依頼その他原告と直接関係のない原因により交付を受けたもの。この場合の右手形の帰属、入金は、右(三)の類型と同様である。
(五) 訴外茂男が右(三)又は(四)の類型の取引により取得して所持する手形を原告振出しの手形等と交換したもの(原告振出しの手形の受取人欄の記載は、訴外茂男ではなく、便宜元の割引依頼人の名称が記載されている。)この場合は、原告振出しの手形が訴外茂男に帰属し、右手形金は本件各仮名預金に原告から入金されている。
右(一)、(二)及び(五)の類型の取引は、原告及びその取引先に金融機関における割引枠がないなどの理由で金融機関を含む他の者から有利な割引きを受けられないため、訴外茂男が割引いたものである。右(三)及び(四)の類型の取引は、訴外茂男の取引であることは明らかである。
また、右(一)の類型の取引のうち融手取引により交換された手形の一部及び右(五)の類型の取引により交換された手形の大多数については、原告の手形帳に「ST」という記号が付されているが、右「ST」は、SIGEO・TOKOIの略であつて、訴外茂男が手形交換の当事者等として取引に関与したことを示す記号である。
さらに、本件各仮名預金は、訴外茂男が管理していたものであるが、預金の入出金、取り立てる手形の裏書等の事務の大部分を現実に行つていたのは訴外茂男の妻である常井洋子(以下「訴外洋子」という。)である。本件各仮名預金が原告に帰属するものであれば、これに関連する事務は原告の従業員が担当するはずである。また、本件各仮名預金を利用した金融取引は、原告の事務所ではなく、訴外茂男の自宅で行われている。これらは本件各仮名預金が訴外茂男に帰属することを示すものである。
2 本件各仮名預金の原資
本件各仮名預金は、訴外茂男に帰属する次のとおりの資金を原資とするものであるから、同人に帰属することが明らかである。
(一) 訴外茂男が蓄積した個人資金
訴外茂男には、本件各仮名預金を開設した当時(昭和四三年四月一〇日)、少なく見積もつても、以下(1)ないし(8)のとおりの理由による蓄財が合計一三〇〇万円(なお、この金額には、訴外茂男が行つた金融取引により得た昭和四三年ころまでの金利も含まれている。)あり、これを茂男個人金融取引の原資としたのである。
(1) 昭和二六年以前
中学、高校時代にアルバイトとしてした食品、石鹸等の行商販売の収入による蓄積 五〇万円
(2) 昭和二六年から昭和四一年二月まで
富士電気製造株式会社(以下「富士電気」という。)に勤務していた間の給料等による蓄積 一五〇万円
(3) 昭和四一年二月
富士電気の退職金、餞別等による蓄積 一五〇万円
なお、訴外茂男が富士電気から受け取った規定の退職金及び餞別は、合計一九万一四〇〇円であるが、同人は、富士電気から餞別代わりに同社三重工場の規格外モーターを安価で譲り受け、これを転売した収益も含むものである。
(4) 昭和二八年六月から昭和三六年三月まで小宮工業所経営の収益による蓄積 五〇〇万円
訴外茂男は右期間、小宮工業所の名称で製缶業、熔接業等の職人の世話役、まとめ役として一人あたり五〇〇〇円から一万円の世話料を得ていた。
(5) 昭和三四年三月
訴外洋子の持参金による蓄積 八〇万円
(6) 昭和三四年五月から昭和三六年四月まで
美野里園経営の収益による蓄積 一二〇万円
なお、美野里園は訴外茂男の勤務先である富士電気で使用するお茶の相当部分を販売しており、相当の収益を上げていた。
(7) 昭和三六年五月
右美野里園店舗等の処分代金による蓄積 二〇〇万円
なお、美野里園を売却したのは、経営不振のためではなく、訴外茂男が石油プラント建設のために千葉県五井市に出向することになり、その経営ができなくなつたためである。
(8) 昭和四一年四月から同年一二月まで
茨城中央コンクリート工業株式会社(以下「中央コンクリート」という。)及び常井商店の経営参加の収入による蓄積 五〇万円
(二) 金融機関からの借入金
訴外茂男は、別表一二記載のとおり金融機関から資金を借り入れ、これを茂男個人金融の原資としていた。なお、訴外茂男は、右の借入金を一旦本件各仮名預金に預け入れた上で、これを払い出して利用するという方法をとらずに、右の借入金が入金された訴外茂男の実名の口座から払戻した後、手形割引金等として借主等へ直接交付するのが通常であつた。
同表の(1)記載の四〇〇万円のうちの一九〇万円は、訴外茂男が昭和四四年六月一〇日に購入した茨城県西茨城郡友部町大田町字当ノ越一六〇八番の一〇宅地三九〇平方メートルの代金二四〇万円のうちの一九〇万円に充当されたものと考えられるが、少なくとも、残余の二一〇万円は茂男個人金融取引の原資となつている。
同表の(2)記載の九〇〇万円については、借入理由は茨城県西茨城郡岩間町大字吉岡字小谷原の土地六筆の購入資金の不足金に充てるためとされているが、訴外茂男は、右の土地の所有者である柴山弘、柴山正吉に対し、昭和四四年八月ころまでに多額の貸付金債権を有していたので、売買契約の形をとつたものの、実際には代物弁済として、右の土地を取得したものであり、右九〇〇万円は、右の土地の購入資金として利用されていない。
同表(6)記載の五〇〇万円については、借入理由は同郡友部町旭町字旭崎所在の店舗兼居宅の建築資金とされているが、右の建築資金は、三一〇万円で、訴外茂男は、これを右の借入金とは別個に個人の手形で支払つており、右の借入金は、右の建築資金として利用されていない。
同表の(11)記載の一三〇〇万円については、借入理由は同町大田町所在の訴外茂男の居宅の建築資金とされているが、右の建築資金は、五〇〇万円で、訴外茂男は、これを右の借入金とは別個に個人の手形で支払つており、右の借入金は、右の建築資金として利用されていない。
そもそも、金融機関に対する借入れに際して、必ずしも真実の理由が申し出られるわけではなく、しかも、本件のように訴外茂男が本件各仮名預金を利用しての金融取引に使用することが真実の理由である場合には、これを明らかにすると借入れは不可能となるのであるから、借入理由を重視すべきではない。
(三) 藤株正宏(以下「訴外藤株」という。)からの預り金
訴外藤株は、従前専ら農業に従事していたものであり、昭和四三年ころから砂利、砂の採取、販売業を始めたため、右事業運営に必要な資金繰り及び手形の取扱い等に無経験で、その知識にも乏しかつた。そこで、訴外藤株は、訴外茂男に対し、手形の取立て、割引等のほか、訴外藤株と原告又は中央コンクリートとの砂利、砂等の取引についての連絡、請求、売掛金回収等の事務を委ねた。訴外茂男の下には訴外藤株に帰属する手形が集まり、訴外茂男は、その取立て及び割引きをする一方、訴外藤株の資金需要に応じて適宜現金を交付していた。その間、訴外茂男の貸越しとなることもあつたが、おおむね訴外茂男のもとに訴外藤株からの預り金が残る状態で、その額は漸増し、昭和四五年後半には約二〇〇〇万円となつた。
訴外茂男と訴外藤株間において、右預り金については、訴外茂男が自由に使用してよいこととなつていたので、同人は、茂男個人金融取引の原資に使用していた。
また、右の各種の事務を実際に行つていたのは訴外洋子であつたが、訴外藤株は、その報酬として、昭和四二年三月ころから昭和四六年二月ころまで一か月八万円を訴外洋子に支払っており、その累計額は少なくとも三〇〇万円となり、これもまた、茂男個人金融取引の原資となつた。
なお、右預り金は、訴外藤株が昭和四五年六月ころ、鬼怒川の砂利採取事業を開始し、そのために資金を必要としたので、間もなく二、三回に分けて返済し、昭和四六年一月には存在しなくなつた。
3 本件各仮名預金からの資金の行方
本件各仮名預金は、昭和四七年ころから漸次引き出され、同年一一月九日の大貫口座の解約をもつてすべての口座が解約されたが、本件各仮名預金からの資金は、前記2(二)記載の借入金の返済に充てられたほかは、訴外茂男が水戸証券株式会社に委託していた同人、鈴木孝之及び磯崎光夫各名義の株式投資(以下「本件株式投資」という。)の資金に充てられた。すなわち、本件各仮名預金からの一件五〇〇万円以上の出金は別表一三記載のとおり昭和四七年三月九日から同年九月四日までの間に七回合計五四一七万円となるところ、本件株式投資における入出金は別表一四記載のとおりで、同年四月の開始時点からの同年末までに四〇〇〇万円近い資金が投入されており、その時期及び金額に照らせば、本件各仮名預金からの資金が本件株式投資の原資となつているものというべきである。
このように、本件各仮名預金からの資金が訴外茂男個人の資金として使用されているから、本件各仮名預金は原告にではなく、訴外茂男に帰属していたものであることは明らかである。
4 本件各仮名預金設定の理由
訴外茂男は、本件各仮名預金が設定される以前の昭和四一年はじめころから金融取引をしており、当初は単に借用書を書かせて現金を交付し、現金で返済を受けるという方法をとつていたが、次第に手形でも返済を受けるようになつた。同人は、昭和四二年七月二〇日、常陽友部に同人名義の普通預金口座(以下「常陽茂男口座」という。)を開設し、同年一〇月から、右口座を利用して右手形の取立てを行つていたが、手形による返済の件数が増えたため、本件各仮名預金を開設するに至つたものである。別表一五記載のとおり、常陽洋子口座が設定された後は、常陽茂男口座への手形の取立入金が減少しており、このように、本件各仮名預金は、訴外茂男に帰属することに疑いの余地のない常陽茂男口座の延長上にあるものである。この点からいつても、本件各仮名預金は、原告ではなく訴外茂男に帰属するものということができるのである。
5 昭和五〇年七月二五日付けの四四年二月期処分、四六年二月期処分及び四七年二月期の別表三の更正の項の処分に対する審査請求についての裁決書の理由の冒頭に掲げられている四七通の手形及び同理由中の茨城中央運輸有限会社(以下「茨城中央」という。)振出手形三〇通について
右の四七通の手形は、別表一六記載のとおり本件各仮名預金に入金されているものである、いずれも以下(一)ないし(二)に述べるとおり、訴外茂男が取得し、本件各仮名預金で取り立てたものである。また、茨城中央振出しの三〇通の手形も、(三)で述べるとおり、訴外茂男に帰属する。したがつて、訴外茂男に帰属する右の手形が取り立てられている本件各仮名預金が訴外茂男に帰属することは明らかである。
(一) 菅谷工務店こと菅谷忠徳(以下「菅谷工務店」という。)振出手形二通(別表一六の(1)、(2))
訴外茂男は、昭和四一年初めころから菅谷工務店との間で金融取引をしていたが、昭和四二年ないし昭和四三年ころから手形を利用して毎月実質的な借換えをする方法でその金融取引を継続していた。そして、本件各仮名預金における借換え状況は、別表一七記載のとおりであるが、本件各仮名預金設定直前ころの常陽茂男口座にも菅谷工務店関係とみられる手形の取立入金が散見され、菅谷工務店振出しの手形の訴外茂男に帰属することを窺わせる。
右の二通の手形は、同表(11)及び(12)記載の手形の支払資金として菅谷工務店が訴外茂男から借り受けた(実質的には借替え)四〇万円及び三〇万円の返済のために振り出したものであり、端数は右元本に対する日歩七銭の利息である。したがつて、右の二通の手形は、訴外茂男に帰属する。
(二) 久慈生コンクリート株式会社(以下「久慈生コン」という。)振出手形(別表一六の(3))
訴外茂男は、昭和四三年一二月一一日、常陽洋子口座から九八万二〇〇〇円を引き出し、同額を貸付金として送金依頼書の送金人の名義を訴外茂男個人で久慈生コン宛に送金しており、右の手形は、右貸付金の返済として振り出されたものであつて、訴外茂男に帰属する。
(三) 蕨建材有限会社(以下「蕨建材」という。)振出手形五通(別表一六の(4)ないし(8))
別表一六の(4)、(5)記載の二通の手形は、蕨建材が臼井建材こと臼井寛一郎(以下「臼井建材」という。)に対して砂利、砂の購入代金の支払いのために振り出したもので、これを臼井建材が訴外藤株に対して、砂利、砂の購入代金の支払いのためにいわゆる廻し手形として裏書譲渡した。また、同表(6)ないし(8)記載の三通の手形は、蕨建材が原告(鹿島営業所)に対して砂利、砂の購入代金の支払いのために振り出したもので、これを原告が訴外藤株に対して砂利、砂の購入代金の支払いのために廻し手形として裏書譲渡した(このことは右営業所の帳簿に記載されている。)。
訴外藤株は、右の計五通の手形を前記2(三)で述べた理由で訴外茂男に交付したものであり、右の手形は、いずれも訴外茂男に帰属し、原告に帰属しない。
(四) 株式会社同和興業建材(以下「同和興業建材」という。)振出手形三通(別表一六の(9)ないし(11))
(1) 訴外茂男は、昭和四三年九月ころ、同和興業建材と経営的に一体である同和興業株式会社から同社所有の久慈川山方宿に所在する砂利採取場設備の売却斡旋の依頼を受け、常磐生コンを買主として紹介したうえで数か月にわたり仲介し、同年一一月ころ売買契約が成立したので、同和興業株式会社と経営的に一体である同和興業建材は、訴外茂男に対し、その報酬ないし謝礼として五〇万円を支払うこととし、その支払いのために別表一六の(9)及び(10)記載の二通の手形を訴外茂男宛に振り出した。斡旋の主体が原告ではなく訴外茂男個人であることは、右売買契約書の立会人としての署名が原告の専務取締役常井茂男ではなく、訴外茂男個人名であること及び後記6(一四)記載のとおり買主側である常磐生コン及び常磐生コンと経営的に一体である常磐興産の支払つた報酬ないし謝礼が訴外茂男個人に対するものであることからも明らかである。したがつて、右の手形は、訴外茂男に帰属し、原告に帰属しない。
(2) 訴外茂男は、昭和四四年四月ころ同和興業建材から中古バス二台の購入の委託を受け、同社のために中古バス二台を購入してその代金を立替払いした。そこで、同和興業建材は、右代金の償還及び報酬ないし謝礼の支払いのために訴外茂男に対し、別表一六の(11)記載の小切手を振り出した。したがつて、右の小切手は、訴外茂男に帰属し、原告に帰属しない。
(五) 石津建材株式会社(以下「石津建材」という。)振出手形二通(別表一六の(12)、(13))
右の二通の手形は、昭和四四年四月二一日石津建材が原告(鹿島営業所)に対して買掛代金支払のために振り出し、その後原告と訴外茂男との間の割引、交換等を経て訴外茂男が取得したもので、右の手形は、訴外茂男に帰属し、原告に帰属しない。
(六) 株式会社岡部工務店(以下「岡部工務店」という。)振出手形四通(別表一六の(14)ないし(17))
右の四通の手形は、岡部工務店が原告(鹿島営業所)に対して買掛代金の支払いのために振り出したもので、これらを原告が訴外藤株に対して昭和四四年七月二日、買掛代金の支払いのために廻し手形として裏書譲渡したものであり、このことは原告(鹿島営業所)の帳簿に記載されている。訴外藤株は、右の手形を前記2(三)で述べた理由で訴外茂男に交付したものであり、右の手形は、いずれも訴外茂男に帰属し、原告に帰属しない。
(七) 有限会社星材木店(以下「星材木店」という。)振出手形(別表一六の(18))
右の手形は、星材木店が原告に対して買掛代金の支払いのために振り出したもので、これを原告が木村建材に対して昭和四四年五月一日、買掛代金の支払いのため廻し手形として譲渡したものであり、このことは原告の帳簿に記載されている。そして、訴外茂男が茂男個人金融取引(割引依頼)により右手形を取得したものであり、右の手形は訴外茂男に帰属し、原告に帰属しない。
(八) 神栖コンクリート興業株式会社(以下「神栖コンクリート」という。)振出手形(別表一六の(19))
右の手形は、神栖コンクリートが原告(鹿島営業所)に対して買掛代金の支払いのために振り出したもので、これを原告が訴外藤株に対して昭和四四年七月五日買掛代金の支払いのため廻し手形として譲渡したものであり、このことは原告の帳簿に記載されている。訴外藤株は、右の手形を前記2(三)で述べた理由で訴外茂男に交付したものであり、右の手形は、訴外茂男に帰属し、原告に帰属しない。
(九) 沼崎工務店こと沼崎新(以下「沼崎工務店」という。)振出手形(別表一六の(20))
右の手形は沼崎工務店が原告(鹿島営業所)に対して買掛代金の支払いのために振り出したもので、原告はこれを一旦は銀行に取立てに出したが、満期前である昭和四四年九月一三日に依頼返却により組戻し、これを訴外藤株に対して昭和四四年七月五日買掛代金の支払いのため廻し手形として譲渡したものであり、このことは原告の帳簿に記載されている。訴外藤株は、右の手形を前記2(三)で述べた理由で訴外茂男に交付したものであり、右の手形は、訴外茂男に帰属し、原告に帰属しない。
(一〇) 金沢商事株式会社(以下「金沢商事」という。)振出手形二六通(別表一六の(21)ないし(46))
茨城中央は、原告の商品運送の衝に当り、かつ、その代表取締役である関喜久雄(以下「訴外関」という。)は訴外茂男の義弟であるところ、同社は新規採用した運転手の住宅を必要としていたが、そのための資金を有していなかつた。そこで、訴外茂男が同社の運転手の住宅(一部は事務所)の用に供するために、茨城県西茨城郡友部町字旭崎六五〇番地上に五棟の建物(以下「本件各建物」という。)を建築し、これを同社に貸与した。その際、金沢商事は、訴外茂男の仲介斡旋で右建物を利用して運送業務を急激に拡大した茨城中央に石油類を販売することになり、右建物の建築により利益を受けることとなつたので、右建物の建築資金の一部を負担する趣旨で、訴外茂男に対し昭和四五年一月二〇日一括していずれも額面二万円の右の二六通の手形及びその他四通の手形(別表六の(2)17ないし20。後記6(一〇)参照。)の合計三〇通(額面合計六〇万円)を振り出した。
右の三〇通の手形の振出は、その時期、方法等の類似から、後記(一二)記載の茨城中央振出しの三〇通の手形と同一の趣旨のものと解されるところ、茨城中央に対する右三〇通の手形が訴外茂男に対して振り出されたものであることは後記(一二)記載のとおりであるから、この点からも、金沢商事に対する右三〇通の手形は、訴外茂男に帰属し、原告に帰属しない。
(一一) 額田木工組合(以下「額田木工」という。)振出手形(別表一六の(47))
右の手形は、額田木工が大和建材こと立枝静(以下「訴外立枝」という。)に対して、同人から買入れた合板代金の支払いのために振り出したものである。そして、訴外茂男が茂男個人金融取引(割引依頼)により訴外立枝から右の手形を取得したものであり、右手形は、訴外茂男に帰属し、原告に帰属しない。
(一二) 茨城県中央振出手形三〇通
茨城中央は、昭和四四年一二月九日に、昭和四五年二月から昭和四七年七月までの各一〇日を支払期日とする額面各二五万円とする手形三〇通を振り出した。そのうち、本件各仮名預金において取立入金されたのは別表一八記載の二二通の手形である。右の三〇通の手形は、訴外茂男の建設した本件各建物により利益を受ける茨城中央がその建築費用の一部を負担する意思で振り出したものであるから、訴外茂男に帰属するものというべきである。
なお、本件各建物の建築費は、別表一九記載のとおり合計七五六万六〇〇〇円であり、これに建築のための整地費用、登記費用等を加算すれば約八〇〇万円となるところ、当時の金利水準や茨城中央の資力等から、仮に右の手形を一括して金融機関で割り引いたとすれば、額面の半分程度になつてしまう可能性が大であり、実質的には茨城中央は、本件各建物に係る建築費の約半分を負担したに過ぎないといえるし、また、茨城中央は本件各建物の賃借料を七年間免除されているから、茨城中央の負担は相当なものであり、不相当に高額ではない。
6 本件各処分において、受取手形計上漏れとされた手形(受取手形計上漏れとはされていないが、それに関連する手形も含む。)について
右の手形は、別表六の(1)ないし(3)記載のとおりであり、合計四三通(同表(3)6ないし9記載の手形は、同表(2)17ないし20記載の手形と同一のもの)である。これらは、以下に述べるとおり、いずれも訴外茂男が取得したものであり、原告に帰属するものではない。
(一) 訴外立枝振出手形(別表六の(1)1)
右の手形は、訴外立枝が振り出し、訴外茂男に割引(茂男個人金融取引)のために譲渡したものである。このことは、右取引が訴外茂男の自宅で行われたこと及び原告の帳簿に原告が右手形を取得した旨の記載がないことから明らかである。
(二) 中央コンクリート振出手形三通(別表六の(1)2、3、(3)11)
(1) 別表六の(1)2、3記載の二通の手形は、中央コンクリートが菅谷工務店に対して外注費の支払いのために振り出したものである。そして、訴外茂男が茂男個人金融取引(割引依頼)により菅谷工務店から右各手形を取得したものである。このことは、中央コンクリートから菅谷工務店に至る部分については中央コンクリートの帳簿に記載があり、また、菅谷工務店と訴外茂男との間には頻繁に金融取引がされていたこと(前記5(一)参照)から、明らかである。
仮に被告の主張どおり右各手形が原告に帰属するとしても、途中に菅谷工務店が介在しているから、四四年二月期末に原告に帰属していたとは当然にはいえない。
(2) 別表六の(3)11記載の手形は中央コンクリートが茨城中央に対して運送代金の支払いのために振り出したものである。そして、訴外茂男が茂男個人金融取引(割引依頼)により茨城中央から右各手形を取得したものである。
仮に右手形が原告に帰属するとしても、途中に茨城中央が介在しているから、四七年二月期末に原告に帰属していたとは当然にはいえない。
(三) 笠間砕石株式会社(以下「笠間砕石」という。)振出手形(別表六の(1)4)
右の手形は、笠間砕石が昭和四三年一〇月一五日振り出したもので、訴外茂男が取得したものである。
(四) 菅谷工務店振出手形三通(別表六の(1)5ないし7)
訴外茂男と菅谷工務店との間の取引については、前記5(一)のとおりである。右の三通の手形は、別表一七の(22)、(21)、(20)記載のとおり、菅谷工務店が訴外茂男に対し振り出したもので、右の手形は、訴外茂男に帰属する。
(五) 井川建材こと井川盛夫(以下「井川建材」という。)振出手形(別表六の(1)8)
右の手形は、井川建材が訴外藤株に対して砂利、砂の購入代金の支払いのために振り出したものである。そして、訴外藤株は、右の手形を前記2(三)で述べた理由で訴外茂男に交付したものであり、右の手形は、訴外茂男に帰属し、原告に帰属しない。
仮に右手形が原告に帰属するとしても、途中に訴外藤株が介在しているから、四四年二月期末に原告に帰属していたとは当然にはいえない。
(六) 訴外関振出手形二通(別表六の(1)9、(2)21)
右の二通の手形は、訴外関が振り出し、訴外茂男に割引(茂男個人金融取引)のために譲渡したものである。訴外茂男が取得したものであるから、もとより原告の帳簿に記載されていない。
(七) 土浦土木建築工業株式会社(以下「土浦土木」という。)振出手形(別表六の(1)10)
右の手形は、土浦土木が赤上光男に対して工事請負代金の支払いのために振り出したものである。そして訴外茂男が茂男個人金融取引(割引依頼)により右赤上から右の手形を取得したものである。このことは右手形の記載から容易に確認できる。
(八) 楢戸建材株式会社(以下「楢戸建材」という。)振出手形(別表六の(2)1)
右の手形は楢戸建材が振り出し、訴外茂男に割引のために譲渡したものである。訴外茂男が取得したものであるから、原告の帳簿に記載はない。
(九) 吉田英雄(以下「訴外吉田」という。)振出手形二通(別表六の(2)2、3)
右の二通の手形は、訴外吉田が大半商店に対して資金融通のために同時に振り出したものである。そして、訴外茂男が茂男個人金融取引(割引依頼)により大半商店から右の手形を取得したものである。
仮に右の手形が原告に帰属するとしても、途中に大半商店が介在しているから、四六年二月期末に原告に帰属していたことは当然にはいえない。
(一〇) 金沢商事振出手形一七通(別表六の(2)4ないし20)
右の一七通の手形は、前記510で述べた三〇通の手形の一部(別表六の(2)4ないし16と別表一六の34ないし46及び別表六の(2)17ないし20と同(3)6ないし9とは、いずれも同一)であり、訴外茂男に帰属する。
(一一) 茨城中央振出手形(別表六の(2)22)
右の手形は、茨城中央が振り出し、訴外茂男に割引(茂男個人金融取引)のために譲渡したものであり、訴外茂男に帰属する。
(一二) 大周汽缶興業株式会社(以下「大周汽缶」という。)振出手形(別表六の(2)23)
右の手形は、大周汽缶が下館生コンクリート工業株式会社(以下「下館生コン」という。)に対してボイラー設置機材の賃借料又は設置の請負代金の支払いのために振り出したものである。そして、訴外茂男が茂男個人金融取引(割引依頼)又は取立委任により下館生コンから右手形を取得したものである。
仮に右手形が原告に帰属するとしても、途中に下館生コンが介在しているから、四六年二月期末に原告に帰属していたとは当然にはいえない。
(一三) リコー建設株式会社(以下「リコー建設」という。)振出手形(別表六の(2)24)
右の手形は、リコー建設が株式会社石田工務店に対して工事代金の支払いのために振り出し、右石田工務店が下館生コンに対して工事用生コンクリートの売買代金の支払いのために廻し手形として譲渡したものである。そして、訴外茂男が茂男個人金融取引(割引依頼)により下館生コンから右手形を取得したものである。このことは右手形の記載から容易に確認できる。
仮に右手形が原告に帰属するとしても、途中に右石田工務店及び下館生コンが介在しているから、四六年二月期末に原告に帰属していたとは当然にはいえない。
(一四) 常磐興産振出手形二通(別表六の(3)1、5)及びそれに関連する常磐生コン振出手形
右の常磐興産振出しの二通の手形は、その他四通の手形(いずれも額面二五万円で以上六通の手形の額面合計は一五〇万円である。)とともに常磐興産が前記(四)(1)に述べた同和興業建材と常磐生コン間の砂利採取場売買の斡旋仲介に対する報酬ないし謝礼として訴外茂男に対して振り出したもので、右売買の買主側からの報酬ないし謝礼としては第二回目(第一回目は、後に述べるとおり常磐生コン振出手形により五〇万円支払われている。)のものであるが、右指摘の箇所で述べたと同様の理由及び右の手形は訴外茂男が昭和四六年ころ自宅を新築した際に自宅新築の援助金として支払うように要求した結果振り出されたものであることから、訴外茂男に帰属するものであることは明らかである。
右の手形に関連する手形として、昭和四三年一〇月二三日常陽洋子口座に取立入金された額面五〇万円の常磐生コン振出手形がある。この手形は、右に述べた砂利採取場売買の斡旋仲介に対する買主側の第一回目の報酬ないし謝礼として振り出されたものであり、前記5(四)(1)に述べた理由及び右に述べたとおり第二回目の報酬等の支払いが明らかに訴外茂男に対するものであることから、訴外茂男に帰属するものである。
(一五) 有限会社那水工務店(以下「那水工務店」という。)振出手形二通(別表六の(3)2、12)
別表六の(3)2の記載の手形は、那水工務店が訴外立枝に対して建設資材の売買代金の前渡金の支払いのために振り出したものであり、別表六の(3)(12)記載の手形は、那水工務店が訴外立枝に対して融通手形として振り出したものである。そして、訴外茂男が茂男個人金融取引(割引依頼)により訴外立枝から右各手形を取得したものであり、このことは右取引が訴外茂男の自宅で行われたことからも明らかである。
仮に右各手形が原告に帰属するとしても、途中に訴外立枝が介在しているから、四七年二月期末に原告に帰属していたとは当然にはいえない。
(一六) 常磐生コン振出手形三通(別表六の(3)3、4、13)
別表六(3)の3、4記載の手形は、昭和四六年一一月二四日ころ常磐生コンがその他の一通の手形(額面三四六万三二〇〇円)と併せて額面合計一〇〇〇万円として振り出したものであり、別表六の(3)13記載の手形は、同月二六日常磐生コンが振り出したものである。そして、訴外茂男が茂男個人金融取引(割引依頼)により常磐生コンから右各手形を取得したものである。
なお、常磐生コンの帳簿には右の手形について、いずれも原告に振り出した旨の記載があるが、これらは原告の専務取締役であつた訴外茂男と原告とを混同した誤記である。
(一七) 友部工務店株式会社(以下「友部工務店」という。)振出手形(別表六の(3)10)
右の手形は、友部工務店が昭和四六年一一月一六日訴外立枝に対して建築資材の売買代金の支払いのために振り出したものである。そして、訴外茂男が茂男個人金融取引(割引依頼)により訴外立枝から右手形を取得したものであり、このことは右取引が訴外茂男の自宅で行われたことからも明らかである。
仮に右手形が原告に帰属するとしても、途中に訴外立枝が介在しているから、四七年二月期末に原告に帰属していたとは当然にはいえない。
7 本件各処分において支払手形否認とされた手形について右の手形は、別表七の(1)ないし(3)記載のとおりであり、合計二八通である。これらは、以下に述べるとおり、原告が各期末に債務を負つていたものである。
(一) 富施運輸宛原告振出手形三通(別表七の(1)1、6、9)
富施運輸は、訴外茂男が昭和四二年ころに設立しその経営に当たつていた運送事業体で、主として原告のセメント類の輸送業務を請け負つていた。右の三通の手形は、原告が富施運輸に対して右輸送業務の請負代金の支払いのために振り出したものであり、原告は、四四年二月期末に右の手形の債務を負つていたものである。また、右の手形は、富施運輸の経営主である訴外茂男に帰属するもので、同人に帰属する右の手形が本件各仮名預金に取立入金されていることは、本件各仮名預金が同人に帰属する有力な根拠の一つである。
(二) 関商こと訴外関及び茨城中央宛原告振出手形計一三通(別表七の(1)2ないし5、7、8、10ないし13、(2)5、6、(3)1)
関商とは、訴外関が経営していた個人企業の運送事業体の名称であり、茨城中央は、関商が昭和四四年にいわゆる法人成りしたものである。関商及び茨城中央は、原告のセメント類の輸送業務を多数請け負つていた。右の一三通の手形は、原告が関商又は茨城中央に対して右輸送業務の請負代金の支払いのために振り出したものであり、原告は、別表七の(1)2ないし5、7、8、10ないし13記載の一〇通の手形については四四年二月期末に、同表(2)5、6記載の二通の手形については四六年二月期末に、同表(3)1記載の手形については四七年二月期末に、右の手形の債務を負つていたものである。そして、右の手形のいわゆるサイトが三か月であつたため、関商及び茨城中央は、資金繰りの関係で支払い期日まで右の手形を眠らせておくこともできず、また、現行における割引枠には限度があつたため、訴外茂男に割引の依頼をし、同人が茂男個人金融取引により取得したものである。
(三) 大半商店宛原告振出手形三通(別表七の(2)1ないし3)
右の三通の手形は、昭和四六年二月ころ原告が大半商店に対する建築資材の買掛金、工事代金及び接待交際費の立替金債務の支払いのために振り出したものであり、原告は、四六年二月期末に右の手形の債務を負つていたものである。そして、右各手形のいわゆるサイトが二か月ないし四か月であつたため、大半商店は資金繰りのために振り出しの直後に訴外茂男に割引の依頼をし、同人が茂男個人金融取引により取得したものである。
(四) 伊藤土木宛原告振出手形(別表七の(2)4)
右の手形は、原告が伊藤土木に対する債務の支払いのために振り出したものであり、訴外茂男が茂男個人金融取引により取得したものである。原告は、四六年二月期末には、右の手形の債務を負つていた。
(五) 横建砕石株式会社(以下「横建砕石」という。)宛原告振出手形(別表七の(2)7)
右の手形は、原告(鹿島営業所)が横建砕石に対して昭和四五年一〇月二五日に砕石代金の支払いのために振り出したものであり、原告は、四六年二月期末に右の手形の債務を負つていたものである。そして、横建砕石は右手形を茨城中央に対して輸送業務の請負代金の支払いのために譲渡し、茨城中央は昭和四六年二月一二地訴外茂男から額面一〇〇万円の手形の割引(茂男個人金融取引)を受けた際、割引手数料として横建砕石から譲り受けた右の手形を同人に譲渡したものである。
(六) 松山建設工業株式会社(以下「松山建設」という。)宛原告振出手形六通(別表七の(3)2ないし6、8)
右の六通の手形は、原告が山砂掘削、搬出工事請負等の代金支払いのために松山建設に対して振り出したものであり、原告は、四七年二月期末に右の手形の債務を負つていたものである。そして、右の手形のいわゆるサイトが四か月であつたため、松山建設は資金繰りの関係で訴外茂男に割引の依頼をし、同人が茂男個人金融取引により取得したものである。なお、松山建設は右各手形について別表二一記載のとおりの領収書を発行しており、松山建設の帳簿上、右各手形の受入記帳がないのは記帳上の誤りである。
(七) 常磐生コン宛原告振出手形(別表七の(3)7)
原告は、昭和四六年一一月五日、常磐生コンの代表者である磯崎勝雄個人との間で、同人所有の別表二〇記載の土地を代金五〇〇万円、六か月間の買戻特約(ただし未登記)付きで買い受ける旨の売買契約を成立させた。右の手形は、受取人が常磐生コンとなつており、原告の帳簿上も同様に処理されているが、実際は右土地売買の代金の支払いのために、右磯崎個人に対して振り出したものであり、原告は、四七年二月期末に右の手形の債務を負つていたものである。そして、右磯崎から訴外茂男が茂男個人金融取引(割引依頼)により右の手形を取得したものである。
8 大半商店に対する貸付金計上漏れについて
大半商店は、昭和四三年当時約八〇〇〇万円の負債を負つていて資金繰りが苦しかつた。
そのため、大半商店は、主として大半商店振出手形又はその取引先の振出手形を訴外茂男に対し割引依頼をし、これに応じて訴外茂男がこれを茂男個人金融取引により割り引くという方法で融資を受けており、昭和四五年七月には訴外茂男の融資総額は約二五〇〇万円となつていた。大半商店は、同月に手形の不渡りを出して事実上の倒産状態に陥つた。そこで、訴外茂男は、右二五〇〇万円の回収に取りかかり、大半商店と交渉を重ねる一方、原告の当時の代表者であつた訴外文男とも相談した結果、原告が大半商店に二五〇〇万円を貸し付け、それをそのまま大半商店が訴外茂男に返済することで三者間で話がまとまつた。なお、原告は、昭和四五年八月三一日に大半商店の代表者である田中芳助から設定を受けていた石岡市大字石岡字香丸一〇七七番一宅地四一六・五二平方メートル及び同地上の建物に対する極度額一〇〇〇万円の根抵当権を利用するほか、昭和四五年一二月三日、新たに大半商店から石岡市大字三村所在の畑、山林等一五筆について農地法五条の許可を条件とする所有権移転仮登記等による担保権の設定を受けた。そして、昭和四六年一月二二日、原告から大半商店に対して別表二二記載の手形一二通(額面合計二五〇〇万円)を交付して右二五〇〇万円の貸付けが実行され(同時に大半商店から原告に対しこれに見合う手形が振り出されている。)大半商店は右各手形を訴外茂男に交付して同人からの借入金の返済をし、右各手形のうち、別表二二の6記載の手形を除いては本件各仮名預金に取立入金された。
大半商店の帳簿上、茂男との金融取引を原告との取引としているのは、誤った記載である。
なお、原告は、右の昭和四六年一月二二日の処理について、二五〇〇万円の貸付金につき、貸方に支払手形二五〇〇万円を計上するとともに、借方に大半商店振出しに係る原告の受取手形を計上して仕訳記帳している。したがつて、原告に貸付金計上漏れはない。
六 原告の反論に対する認否及び被告の再反論
1 原告の反論1について
訴外茂男が本件各仮名預金を利用して個人で金融取引をしていた事実は否認する。本件各仮名預金を利用した金融取引が訴外茂男個人の行為であれば、その取得した手形は、期日にそのまま本件各仮名預金を利用して取り立てれば足りるものであつて、原告振出手形と交換する必要はないはずである。むしろ、(五)記載の類型は本件各仮名預金が原告に帰属することを前提として初めて理解できるものである。すなわち、原告はその取引先等から手形割引の依頼を受け、本件各仮名預金から払い出した資金を右依頼人に交付し、右割引依頼手形を原告の公表の受取勘定に計上した場合、そのままでは簿外資金支出による受取手形計上であるから公表勘定の資産の部が故なく増加することになり、原告が同額の支払手形を発行して公表勘定のつじつまを合わせたのである。また、(五)記載の類型の取引が真に行われたのであれば、原告は支払い手形受取人を訴外茂男と帳簿に記載するはずである。実際には、原告が金融取引をしたからこそ、本来の割引依頼人が帳簿に記載されたのである。
「ST」なる記号が「常井茂男」を指すか、「専務取締役常井」を指すのかはつまびらかではない。しかし、常陽岩間の原告名義の普通預金の昭和四五年六月一〇日欄には「貸付金(S・T)FM送金」として八二〇万〇一〇〇円を払い出しており、これに対応して原告の総勘定元帳の同日欄には「普預岩常
訴外茂男が本件各仮名預金の管理をしていたことは認める。しかし、訴外洋子が本件各仮名預金に関する事務を行つていたことは、本件各仮名預金が訴外茂男に帰属することを示すものであるとの主張は争う。原告の如き同族会社においては、役員の家族が会社の事務を手伝うことは少なからず有り得ることである上、原告の薄外預金である本件各仮名預金の存在が原告の従業員に知られることは、本件金融取引による利益を隠蔽する上で不得策であるとの理由から訴外洋子が本件各仮名預金に関する事務に従事していたものであり、同人が本件各仮名預金に関する事務に従事していたことは、本件各仮名預金が訴外茂男に帰属することの理由とはならない。
2 同2について
(一) (一)について
同目録の事実は争う。
(1)の事実は否認する。昭和二六年以前の貨幣価値からみて、中学生、高校生が通学の合間や土曜、日曜にする行商により原告主張のごとき蓄財ができることは経験則上到底あり得ない。
(2)の事実は否認する。訴外茂男の富士電気入社当時の賃金は一か月六、七千円位、退職当時の賃金は一か月三、四万円位であつて、その間、同人は昭和三四年に結婚し、一男一女ができており、一般家庭と同程度の家計の支出があつたと推定されるところ、昭和三〇年代の勤労世帯の平均貯蓄純増額は別表二三記載のとおりであるから、原告主張の如き蓄財ができたものとは考えられない。
(3)のうち、訴外茂男が昭和四一年二月退職に際し富士電気から受け取つた退職金及び餞別が合計一九万一四〇〇円であることは認め、その余の事実は否認する。原告主張のモーター販売により多額の利益を上げた事実があれば、訴外茂男の蓄財について初めて主張した原告第七準備書面(昭和五三年)一二月一九日付け)に当然記載されてしかるべきであるのに、その旨の記載は全くなく、訴外茂男が証人として証言した際(昭和五七年五月二五日)突然に言い出されたものである。また、東証一部上場会社である富士電気が、退職者に退職金又は餞別の代わりに自社のモーターの取引をさせるということは考えられない。
(4)の事実は否認する。訴外茂男が小宮工業所を経営していたという期間、同人は富士電気に勤務しており、同社の勤務時間が午前八時から午後五時までで、残業が一か月八〇時間にも及ぶこともあつたから、同人が小宮工業所を経営する余裕があつたとは考えられず、また、五〇〇万円もの収益をあげるためには延べ五〇〇人ないし一〇〇〇人を越える者を世話する必要があるうえ、相応の経費も必要とすることを考えると、五〇〇万円もの収益をあげられたとは到底考えられない。さらに、昭和三六年一月当時の神奈川県における臨時及び日雇労働者の一日平均給与額は製造業種で五一六円であるから、一人あたりの世話料五〇〇〇円ないし一万円は当時としては異常に高額で信用できない。
(5)の事実は否認する。仮に訴外洋子が持参金八〇万円を婚姻に際し持参したとしても、その性格から茂男個人金融取引の資金となつたとは考えられない。
(6)及び(7)の事実は否認する。美野里園は横浜市鶴見区所在の木造二階建の共同店舗である三ツ池デパートの中ほどの三、四坪の一画を賃借して昭和三四年一二月に開店したお茶と駄菓子等の小売店であるが、わずか一年後の昭和三五年一二月には経営不振のためにいわゆる居抜きの状態で中西file_4.jpgき子に売却されており、一二〇万円もの収益をあげたとは認められない。また、その売却代金も総額約五五万円とされているが、うち四五万円は美野里園の仕入先に対する買掛金四五万円を右中西が肩代わりすることにより支払われており、訴外茂男が現実に入手したのは残りの約一〇万円に過ぎない。
(8)の事実は否認する。仮に訴外茂男が中央コンクリート及び常井商店の経営参加による収益があつたとしても、同人は原告設立に際して四五万円の出資をしており、原告主張の蓄財をする余裕はなかつた。
(二) (二)について
訴外茂男が別表一二記載のとおりの借り入れをしていることは認め、その余の事実は否認する。
本件借入金は、次のとおりいずれも本件各仮名預金とは別の訴外茂男又は訴外洋子名義の普通預金口座に預け入れられ、その払出しと本件各仮名預金とのつながりはないから、茂男個人金融取引の原資とはいえない。
(1) 別表一二の(1)記載の四〇〇万円は、昭和四四年七月三〇日支払利息等控除後の三八九万二〇四〇円が県信友部の訴外茂男名義の普通預金口座に振替入金され、即日三〇〇万円が払い出されているが、本件各仮名預金への預金への入金はない。特定地域の一個人が金融機関に融資を依頼するに当たつて虚偽の理由を申し立てて融資を受けることができることは通常はありえないところ、右の借入金は、不動産購入という理由を明示してされ、現実に借入理由とされた不動産購入がされている。したがつて、右の借入金は、その借入理由とされている茨城県西茨城郡友部町大田町字当ノ越一六〇八番の一〇の宅地三九〇平方メートルの購入資金(契約上は二四〇万円とされているが、借り入れに際して貸出金融機関は右土地の時価を三五〇万一〇〇〇円と評価していること等から、その金額には疑問がある。)及び右土地の購入に係る仲介手数料、登記費用その他の関連費用のために使われたものと推定される。
(2) 同(2)記載の九〇〇万円は、昭和四四年八月二九日支払利息等控除後の八八七万二四二〇円が常陽岩間の訴外茂男名義の普通預金口座に預け入れられ、即日五〇〇万円が払い出されているが、本件各仮名預金への入金はない。右の借入金は、その借入理由とされている茨城県西茨城郡岩間町大字吉岡字小谷原の土地六筆の購入資金一二五〇万円の不足金のために使われたものと推定される。なお、登記簿上の登記原因が昭和四四年八月二五日売買と明記されていること等からすると、訴外茂男の右各土地取得原因は代物弁済ではなく、売買である。
(3) 同(6)記載の五〇〇万円は、昭和四五年九月二九日支払利息控除後の四八九万〇三〇七円が常陽岩間の訴外茂男名義の普通預金口座に預け入れられ、即日四九〇万〇一〇〇円が払い出されているが、本件各仮名預金への入金はない。右の借入金は、その借入理由とされている茨城県西茨城郡友部町旭町字旭崎所在の店舗兼居宅の建築資金(契約上の請負代金は三一〇万円となつているが、借り入れに際して貸出金融機関は右建物を六三一万三〇〇〇円と評価していることから、その金額には疑問がある。)及び右に関連する費用のために使われたものと推定される。なお、訴外茂男が個人として手形を振り出した事実はない。
(4) 同(11)記載の一三〇〇万円は、昭和四六年九月一八日支払利息等控除後の一二七四万四一九七円が株式会社茨城相互銀行本店に設定された訴外茂男名義の普通預金口座に預け入れられ、同月二一日一一〇〇万円が払い出されているが、本件各仮名預金への入金はない。右の借入金は、その借入理由とされている茨城県西茨城郡友部町大田町所在の訴外茂男の居宅の建築資金一七五〇万一〇〇〇円の一部及び右に関連する費用のために使われたものと推定される。
(5) 右(1)ないし(4)に記載以外の借入金も、訴外茂男又は訴外洋子名義の普通預金口座に入金されており、その払出しと本件各仮名預金とのつながりはない。したがつて、本件借入金は、もつぱら訴外茂男名義の不動産購入等を中心とする同人の私的消費に充てられたものと認められる。
(三) (三)について
(三)の事実は否認する。訴外藤株は採取現場での現金売りについては自ら帳簿付けを行つていたこと、原告に対する売上については同人が積込依頼書等の伝票を作成し、それを帳簿として売掛金の管理をしていたこと及び同人は常陽石塚に当座預金口座を開設し手形の振出し等といつた手形管理をしていたことからすると、同人が訴外茂男ないし訴外洋子に売上金、手形の取立て等の事務を委託し、しかも、多額の売上金等について訴外茂男に無償で使用することを許していたものとは到底考えられない。また、訴外藤株は、昭和四五年ころ自宅を建て直しているが、その資金に使うため預り金の返還を受けたといつたような事実は認められず、しかも、鬼怒川の砂利採取場での採取作業を開始したころに当たる昭和四六年一月には手形不渡りを出しているのであり、訴外茂男に多額の資金を預けていたとは窺われない。さらに、訴外藤株は、昭和四五年六月ころから右砂利採取場の建設を始め、右建設資金について原告から融資を受けたが、右債権は回収困難となつたこと、また、訴外藤株は、右採取場における採取権を原告から二〇〇〇万円で譲り受けたものであるが、その代金もやはり回収困難となつたことから、訴外藤株には訴外茂男に自由に使用させておく資金的余裕はなかつたのであり、原告主張の預り金なるものが存在することはあり得ない。
3 同3について
本件各仮名預金は原告に帰属するものであるから、仮に本件各仮名預金からの資金の行方が訴外茂男の個人名義の株式投資に投入されたとしても、それは同人に対する認定賞与又は原告からの貸付金となるだけであつて、そのことにより本件各仮名預金が訴外茂男に帰属する根拠となるものではない。
4 同4のうち、訴外茂男が昭和四二年七月二〇日に常陽茂男口座を開設したこと、別表一五記載のとおり同年一〇月から右の口座に手形の取立入金があつたことは認め、その余の事実は否認する。右の口座は、本件各仮名預金設定前の原告に帰属する手形の取立てに利用されていたものであつて、右の口座に手形の取立入金がされていたことをもつて、本件各仮名預金が訴外茂男に帰属する根拠とすることはできない。
5 同5について
冒頭の事実のうち、別表一六記載の四七枚の手形が同表記載のとおり本件各仮名預金に入金されていることは認めるが、その余は争う。
(一) (一)の事実は否認する。別表一六の(1)、(2)記載の手形はいずれも原告と菅谷工務店との間の取引に係るものであつて、原告に帰属する。
(二) (二)のうち、昭和四三年一二月一一日、常陽洋子口座から九八万二〇〇〇円が払い戻され、同額が久慈生コンに送金されていることは認めるが、その余の事実は否認する。なお、久慈生コンに対する送金依頼書の送金人の名義が訴外茂男であるとしても、そのことをもつて、送金主体(取引主体)や本件各仮名預金の帰属主体が当然に同人となるわけではない。
(三) (三)のうち、別表一六の(4)、(5)記載の手形は蕨建材が臼井建材に対して振り出したものであること、同(6)ないし(8)記載の手形は蕨建材が原告(鹿島営業所)に対して振り出したこと、同(8)記載の手形について原告(鹿島営業所)の帳簿に訴外藤株に対して譲渡した旨の記載があることは認め、その余の事実は否認する。右の五通の手形はすべて原告が売掛金の入金として取得したものである。そして、原告は、訴外藤株に対する代金の支払いについては、これを現金で交付しており、同(8)記載の手形を譲渡した旨の右の帳簿の記載は虚偽のものである。なお、預り金なるものが存在しないことは前記2(三)記載のとおりであるから、訴外茂男が訴外藤株から右の手形を預ることはあり得ない。
(四) (四)について
(1)のうち、昭和四三年一一月ころ同和興業株式会社と常磐生コン間に同和興業株式会社所有の久慈川山方宿所在の砂利採取場設備の売買契約が成立したこと、同和興業建材が右売買斡旋の報酬ないし謝礼(五〇万円)の支払いのために別表一六の(9)、(10)記載の手形を振り出したこと、右売買契約書の立会人としての署名が肩書のない常井茂男であることは認め、その余の事実は否認する。同和興業建材の帳簿上の支払先は原告となつている。また、右砂利採取場設備の売買については、当初は同和興業株式会社から原告に譲渡したい旨の申込みがあつたのであつて、この申込みを受けるか、他の会社にその譲渡を斡旋するかは、個人としての訴外茂男ではなく、原告の専務取締役としての訴外茂男が原告の重要な経営政策に関するものとして判断すべきものである。そして、その判断の結果としてした常磐生コンに対する斡旋も、訴外茂男の個人的な行為ではなく、原告の専務取締役としての訴外茂男の行為であるというべきであるから、右斡旋は原告の行為であり、これに対する報酬ないし謝礼は原告に対するもので、原告に帰属する。さらに、後記6(一四)記載のとおり買主側である常磐生コン及び常磐興産の支払つた報酬ないし謝礼の支払先も原告である。なお、右売買契約書の末尾の署名は、売主は肩書のない木山潤水(同和興業株式会社の代表者)であり、買主はやはり肩書のない磯崎勝雄(常磐生コンの代表者)であるから、立会人の署名が肩書のない常井茂男であるとしても右斡旋が原告の行為であると解することの支障とはならない。
(2)のうち、同和興業建材が別表一六の(11)記載の小切手を振り出したことは認めるが、その余の事実は否認する。右の小切手の額面二六万円のうちの大部分はバス購入代金の立替金に対する償還金であると推察されるところ、本件各仮名預金の利用状況から、右立替金は本件各仮名預金から支出されていると考えられるから、右小切手は原告に帰属するものである。
(五) (五)のうち、別表一六の(12)、(13)記載の手形は、石津建材が原告に対し買掛代金の支払のために振り出したことは認めるが、その余の事実は否認する。
(六) (六)のうち、別表一六の(14)ないし(17)記載の手形は、岡部工務店が原告に対して買掛代金の支払のために振り出したこと、右の手形について原告(鹿島営業所)の帳簿に訴外藤株に対して譲渡した旨の記載があることは認め、その余の事実は否認する。原告は訴外藤株に対する代金の支払いについては、これを現金で交付しており、右各手形を譲渡した旨の帳簿の記載は虚偽のものである。なお、預り金なるものが存在しないことは前記2(三)記載のとおりであるから、訴外茂男が訴外藤株から右の手形を預ることはあり得ない。
(七) (七)のうち、別表一六の(18)記載の手形は、星材木店が振り出したものであることは認めるが、その余の事実は否認する。
(八) (八)のうち、別表一六の(19)記載の手形は、神栖コンクリートが原告(鹿島営業所)に対して買掛代金の支払のために振り出したこと、右の手形について原告の帳簿に訴外藤株に対して譲渡した旨の記載があることは認め、その余の事実は否認する。原告は、訴外藤株に対する代金の支払については、これを現金で交付しており、右手形を譲渡した旨の帳簿の記載は虚偽のものである。なお、預り金なるものが存在しないことは前記2(三)記載のとおりであるから、訴外茂男が訴外藤株から、右の手形を預ることはあり得ない。
(九) (九)のうち、別表一六の(20)記載の手形は、沼崎工務店が原告に対して買掛代金の支払のために振り出したことは認めるが、原告がこれを訴外藤株に廻し手形として譲渡したこと、訴外茂男が右の手形を訴外藤株から取得したことは、否認し、その余は不知。預り金なるものが存在しないことは前記2(三)記載のとおりであるから、訴外茂男が訴外藤株から右の手形を預ることはあり得ない。
(一〇) (一〇)のうち、茨城中央が原告の主要な下請運送業者であること、別表一六の(21)ないし(46)記載の手形を含む原告主張の三〇通の手形は、金沢商事が振り出したものであることは認めるが、訴外茂男が個人で仲介斡旋したこと、右の手形が同人宛に振り出されたことは否認する。金沢商事は本件建物の直接の賃借人ではないから、本件建物の建築資金を供与する理由はない。金沢商事は、茨城中央に対し燃料(石油類)を供給していたところ、茨城中央の燃料使用量のうち、原告の運送下請に係るものを月平均二〇キロリツトル、一リツトル当り一円(月額二万円)とし、その三〇か月分を、原告に対し支払うということで、右の手形が振り出されたものである。したがつて、右の手形は、本件建物の建築資金の一部負担ではなく、原告の業務遂行による燃料購入に対するリベートと認められ、原告に帰属するものである。
(一一) (一一)のうち、別表一六の(47)記載の手形は、額田木工が訴外立枝に対して振り出したものであることは認めるが、右の手形を訴外茂男が訴外立枝から茂男個人金融取引により取得したことは否認する。原告は、訴外立枝と融通手形の交換による金融取引をしており、原告はこれにより右の手形を取得したものである。
(一二) (一二)のうち、茨城中央が昭和四五年二月から昭和四七年七月までの各一〇日を支払期日とする額面各二五万円の手形三〇通を振り出したことは認め、右の手形が訴外茂男に帰属することは否認する。右の手形の額面金額は合計七五〇万円であるが、右は原告主張の本件各建物の建築費用約八〇〇万円に近い額で建築費の一部負担として七年間家賃が免除されるとしても異常に高額である。本件各建物は原告の取引量増大に見合つた茨城中央の輸送部門拡大という原告の業務遂行上の必要性に基づき建築されたものであり、右の手形は原告との取引量増大により将来増大する利益の見返りとして原告が要求した結果振り出されたものであつて、原告に帰属するものである。また、訴外茂男は右の手形による所得について確定申告していないから、右の手形が自己に帰属していないことを自認しているものである。
なお、本件各建物の所有者が訴外茂男個人であるとしても、原告の実質的経営者である訴外茂男が原告の右業務遂行上の必要性から無償で茨城中央に使用させることは必ずしも不自然ではないし、原告主張の七年間の賃料免除期間経過後である昭和五一年四月以降も訴外茂男は本件各建物を株式会社常井商事(代表者は訴外茂男である。)に無償で貸与し、同社が茨城中央に貸与していることから考えると、訴外茂男にはそもそも本件建物の家賃を徴収する意思はなかつたものである。
6 同6について
冒頭の主張は争う。
(一) (一)のうち、別表六の(1)1記載の手形は、訴外立枝が振り出したものであることは認めるが、訴外茂男が茂男個人金融取引により取得したことは否認する。原告は、訴外立枝と融通手形の交換による金融取引をしており、原告はこれにより右の手形を取得したものである。なお、原告の代表者印は訴外文男の自宅に保管されており、また、原告に帰属する本件各仮名預金の通帳が訴外茂男の自宅に保管されていたことに照らせば、金融取引の場所が訴外茂男の自宅であつたとしても、そのことから当該取引が訴外茂男個人のものということはできない。
(二) (二)のうち、別表六の(1)2、3記載の手形は、中央コンクリートが菅谷工務店に対して、同(3)11記載の手形は、中央コンクリートが茨城中央に対してそれぞれ振り出したことは認めるが、右の手形を訴外茂男が茂男個人金融取引により取得したことは否認する。なお、菅谷工務店は資金繰りが悪く、手形の借替えを継続して行つていたから、同(1)2、3記載の手形は、菅谷工務店が取得した直後に原告に割引依頼をし、割引きにより原告が取得していることは明らかであつて、四四年二月期末に原告に帰属していた。また、同(3)11記載の手形も、茨城中央の資金繰りに鑑み四七年二月期末に原告に帰属していた。
(三) (三)のうち、別表六の(1)4記載の手形は、笠間砕石が振り出したものであることは認めるが、その余の事実は否認する。
(四) (四)のうち、別表六の(1)5ないし7記載の手形は、菅谷工務店が原告主張のとおり振り出したものであることは認めるが、その余の事実は否認する。右の振出しの相手方は原告である。
(五) (五)のうち、別表六の(1)8記載の手形は、井川建材が訴外藤株に対して振り出したものであることは認めるが、右の手形を訴外茂男が茂男個人金融取引により取得したことは否認する。なお、前記2(三)記載のとおり、訴外藤株には資金的余裕はなかつたから、右の手形は訴外藤株が取得した直後に借入金の返済又は割引依頼により、原告が取得したことは明らかであり、四四年二月期末日に原告に帰属していた。
(六) (六)のうち、別表六の(1)9、(2)21の手形は、訴外関が振り出したものであることは認めるが、右の手形を訴外茂男が茂男個人金融取引により取得したことは否認する。
(七) (七)のうち、別表六の(1)10記載の手形は、土浦土木が赤上光男に対して振り出したものであることは認めるが、右の手形を訴外茂男が茂男個人金融取引により取得したことは否認する。
(八) (八)のうち、別表六(2)1記載の手形は、楢戸建材が振り出したものであることは認めるが、右の手形を訴外茂男が茂男個人金融取引により取得したことは否認する。
(九) (九)のうち、別表六の(2)2、3記載の手形は、訴外吉田が大半商店に対して振り出したものであることは認めるが、右の手形を訴外茂男が茂男個人金融取引により取得したことは否認する。なお、大半商店は右手形取得の数か月後に事実上倒産する状況におかれており、右手形取得直後に現金化のために割引依頼をし原告が取得したものと認められるから、四六年二月期末に原告に帰属していた。
(一〇) (一〇)は争う。前記5(一〇)で述べたとおり、原告主張の三〇通の手形は、原告に帰属する。
(一一) (一一)のうち、別表六の(2)22記載の手形は、茨城中央が振り出したものであることは認めるが、右の手形を訴外茂男が茂男個人金融取引により取得したことは否認する。
(一二) (一二)のうち、別表六の(2)23記載の手形は、大周汽缶が振り出したものであることは認め、その余の事実は否認する。右の手形は、大周汽缶が金融取引のために直接原告に持ち込んだものと推認される。
(一三) (一三)のうち、別表六の(2)24記載の手形は、リコー建設が株式会社石田工務店に対して振り出し、右石田工務店が下館生コンに譲渡したものであることは認め、その余の事実は否認する。下館生コンに対する譲渡の日は振出日に近い日と推認され、また、下館生コンは当時資金を必要としていたから、右の手形取得直後に原告から割引を受けたものと認められ、右の手形は四六年二月期末に原告に帰属していた。
(一四) (一四)のうち、別表六の(3)1、5記載の手形は、原告主張その他四通の手形とともに、同和興業建材と常磐生コン間の砂利採取場売買の仲介斡旋に対する報酬ないし謝礼として常磐興産が振り出したこと、買主側からの報酬ないし謝礼としては第二回目のものであることは認め、その余の事実は否認する。右の手形は右売買の仲介斡旋に対する買主側からの報酬ないし謝礼の第二回目であるところ、後に述べるとおり、買主側の第一回目の報酬ないし謝礼の支払先が訴外茂男ではなく原告であること、前記5(四)の前段で述べたとおり売主側の報酬ないし謝礼の支払い先は訴外茂男ではなく原告であることに照らせば、右の手形は原告に対して振り出されたものというべきである。また、右の手形については、関商から「土場構内代車代として」との虚偽の内容の領収書が発行されているが、関商は原告の下請業者で、原告であるがゆえに右虚偽の領収書を発行させることができたのであるから、右の手形の帰属主体は原告である。なお、右の手形は本件各仮名預金に取立入金されていて、訴外茂男の自宅の新築資金に利用されてはいないから、訴外茂男の自宅新築資金の援助金としてとの要求は単なる口実に過ぎないというべきである。
右の手形に関連する手形として原告が主張する事実のうち、常磐生コンが同和興業建材との間の砂利採取場の売買の仲介斡旋に対する報酬ないし謝礼として原告主張の額面五〇万円の手形を振り出したことは認め、その余の事実は否認する。常磐生コンの帳簿には右の手形の支払先を原告としていることに前記5(四)の前段及び右に述べたところを考え合わせると、右の手形は、原告に対して振り出されたものである。
(一五) (一五)のうち、別表六の(3)2、12記載の手形は、那水工務店が訴外立枝に対して振り出したものであることは認めるが、右の手形を訴外茂男が訴外立枝から茂男個人金融取引により取得したことは否認する。原告と訴外立枝との取引等については、前記(一)に述べたとおりである。
(一六) (一六)のうち、別表六の(3)3、4、13記載の手形は、常磐生コンが振り出したものであることは認めるが、右の手形を訴外茂男が茂男個人金融取引により取得したことは否認する。常磐生コンの帳簿上、右の手形の振出先が原告とされているから、右の手形は、原告に帰属するものである。
(一七) (一七)のうち、別表六の(3)10記載の手形は、友部工務店が訴外立枝に対して振り出したものであることは認めるが、右の手形を訴外茂男が訴外立枝から茂男個人金融取引により取得したことは否認する。原告と訴外立枝との取引等については、前記(一)に述べたとおりである。
7 同7について
冒頭の主張は争う。
(一) (一)のうち、原告が別表七の(1)1、6、9記載の手形を富施運輸に対して振り出したことは認めるが、富施運輸の実態等は不知、その余の事実は否認する。右の手形のいわゆるサイトは三か月であるが、右の手形は、富施運輸の下請運転手に対する運賃支払いのために振出を受けるのと同時に原告により割り引かれたものと推認できる。
(二) (二)のうち、関商および茨城中央が原告の下請運送業者であること、原告が別表七の(1)2ないし5、7、8、10ないし13記載の手形を関商に対して、同(2)5、6、(3)1記載の手形を茨城中央に対して振り出したこと、右の手形のいわゆるサイトが三か月であること、関商及び茨城中央は右各手形を資金繰りの関係で割り引いたことは認め、その余の事実は否認する。右の手形は関商及び茨城中央の下請運転手に対する運賃支払いのために振出しを受けるのと同時に原告により割り引かれたものと推認できる。
(三) (三)のうち、原告が別表七の(2)1ないし3記載の手形を大半商店に対して振り出したことは認めるが、原告が四六年二月期末に右の手形の債務を負つていたこと、右の手形を訴外茂男が茂男個人金融取引により取得したことは否認する。
(四) (四)のうち、原告が別表七の(2)4記載の手形を伊藤土木に振り出したことは認めるが、その余の事実は否認する。
(五) (五)のうち、原告が別表七の(2)7記載の手形を横建砕石に対して振り出したことは認めるが、その余の事実は否認する。右の手形は、原告が昭和四六年二月一二日に割引により取得している。
(六) (六)のうち、原告が別表七の(3)2ないし6、8記載の手形を受取人を松山建設として作成したことは認めるが、その余の事実は否認する。原告は、松山建設に対する支払債務について、これを現金で支払っており、同社の帳簿にもその旨の記載がされているのであつて、松山建設に対して右の手形で支払つた旨の原告の帳簿の記載は虚偽のものである。したがつて、右の手形は、債務がないのにこれを仮装するために作成されたものである。なお、原告主張の領収書は、決済日の前の日付で作成されたもの、決済日の異なる受取りの事実をまとめて一枚の領収書として発行しているものがあるなど、取引の実態を正確に反映したものとは認められず、虚偽のものである。
(七) (七)のうち、原告が別表七の(3)7記載の手形を受取人を常磐生コンとして振り出したこと、原告の帳簿上振出先が常磐生コンとなつていることは認めるが、右の手形の受取人が磯崎勝雄個人であること、原告が四七年二月期末に右の手形の債務を負つていたこと、右の手形を訴外茂男が茂男個人金融取引により取得したことは否認する。別表二〇記載の土地が常磐生コンの資金繰りのために買戻特約付きで売買されたこと、結局右土地の買戻しができなかつたこと等の事情に照らせば、右売買は、原告と常磐生コンとの間に成立したもので、右の手形の受取人は常磐生コンであり、また常磐生コンは右の手形を直ちに現金化する必要があつたのである。したがつて、右の手形は振出を受けるのと同時に原告により割り引かれたものである。
8 同8の事実は否認する。
第三証拠
本件訴訟記録中の証書目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
第一本件各処分の存在及び不服申立手続きの経由
請求原因1ないし3(本件各処分の存在、不服申立手続の経過等)の事実は当事者間に争いがない。
第二本件各仮名預金の帰属
本件各仮名預金が存在すること、それを管理していたのが訴外茂男であること、当時同人が原告の専務取締役であつたことは当事者間に争いがない。
被告は本件各仮名預金が原告に帰属する旨を主張し、原告はこれが訴外茂男に帰属する旨反論している。そこで、まず本件各仮名預金の帰属について判断する。
一 本件各仮名預金の入金状況
成立に争いがない甲第七二号証、乙第九ないし第一六号証、第一七号証の五ないし九、第一八号証の二、第一九号証の四ないし六、第二〇号証の四、第四五、第四六、第九八号証(ただし、赤字書込み部分を除く。以下同じ。)。原本の存在及び成立に争いがない乙第一号証ないし第八号証、第二一号証の一ないし七、第二二号証、第二五ないし第二九号証、第三一号証の一、二、第七〇、第七三号証、第七五号証の二、四、七ないし一一、第八三号証、第八五号証の一ないし五、第八六、第八七号証の各一、二、第九九号証(ただし、赤字書込み部分を除く。以下同じ。)第一〇五号証の一、二、証人常井茂男の証言により真正に成立したものと認められる甲第一九号証の一、二、第五〇号証の一ないし八、第五二、第五六号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第三九号証並びに弁論の全趣旨によれば、本件各仮名預金の開設から閉鎖までの入金状況は別表二四の(一)ないし(九)に記載のとおりであることが認められる。この認定において、同表の区分(備考)欄にAと記載したものは、原告が振り出したと認められる手形についての入金、Bと記載したものは、原告と取引関係(商取引関係、融通手形の交換等による金融取引関係等)にあると認められる者(以下「原告直接取引関係者」という。)が振り出した手形及び原告直接取引関係者と取引関係があると認められる者(原告が原告直接取引関係者から廻し手形等により受け取つたと認められる手形の振出人。以下「原告間接取引関係者」という。)が振り出した手形についての入金、Cと記載したものは、原告以外で、原告直接取引関係者又は原告間接取引関係者であると認めることができないものが振り出した手形(振出人不明の手形も含む。)についての入金、Dと記載したものは、本件各仮名預金間の振替入金及び預金利息の入金、Eと記載したものは、AないしDの区分に分類できないもの又は該当すると認めることができないもの(原因不明分も含む。)を指す。なお、前掲乙第九号証によれば、同表(二)に記載の田中裕之の振り出した手形の支払場所も、田中宏文(昭和四五年六月一六日の項)の振り出した手形の支払場所もともに東陽相互銀行石岡支店となつている事実が認められ、この事実に弁論の全趣旨を合せ考えると、同表の(二)の昭和四五年六月一六日の項の田中宏文は、田中裕之の誤記と認める。次に、前掲乙第一一号証、証人常井茂男の証言により原本の存在及び真正な成立を認め得る甲第四一号証の一、二によると、同表(四)に記載の昭和四六年四月一九日の項のタイジマキカンコウギヨウ株式会社の入金は、大周汽缶振出しの手形(振出日同年一月一五日、支払日同年四月一五日、受取人田島洋一)の取立入金に係るものと認められるので、右のタイジマキカンコウギヨウ株式会社は、大周汽缶興業株式会社の誤記と認める。また、同表(四)に記載の昭和四六年一一月六日の項の常磐興業株式会社は、弁論の全趣旨により、常磐興業の誤記と認める。さらに、前掲甲第三九、第五二、第七二号証によれば、田中裕之は大半商店の専務取締役であり、大半商店のために同人名義の手形を振り出したものと認められるので、以下の判断においては、同表(二)に記載の田中裕之とあるのは、大半商店と読み替えるものとする。
右認定に係る右の各区分による入金の件数及び金額を集計し、その割合を算出すると別表二五記載のとおりとなる。また、E区分の入金を、現金、菅谷工務店からの振込入金及び当座振込による入金(以下併せて「振込入金等」という。)菅谷工務店以外からの振込入金等(いずれも入金者は判明しない。)代金取立並びに入金原因不明に区分して、その入金の件数及び金額並びにその割合を算出したのが別表二六である。
D区分はその性質上、本来的に帰属主体に属するものであるということができるから、本件各仮名預金の入金状況からその帰属主体を判断する際に、これを除外したとしても結論に影響はないものというべきである。また、現金による入金は特段の事情のない限り、本件各仮名預金の帰属主体が預け入れたことによる入金と解されるところ、本件においては帰属主体以外の者による入金を窺わせる特段の事情は認められないから、E区分の入金のうち現金によるものは、金融機関の店頭等において現金をもつて預け入れられたもので本件各仮名預金の帰属主体による入金と推認されるので、本件各仮名預金の入金状況からその帰属主体を判断する際に、これを除外することは許されるものというべきである。したがつて、本件各仮名預金の帰属主体を判断する上では、D区分及びE区分のうちの現金による入金を除外した残りの入金を考慮すれば足りるものというべきである。
右のD区分及びE区分のうちの現金による入金を除外した残りの入金の件数及び金額並びにその割合をしめしたものが別表二七であるが、同表によれば、右の入金のうち、原告、原告直接取引関係者又は原告間接取引関係者(以上の三者を合わせて以下「原告関係者等」という。)からの入金といえる。A区分、B区分及びE区分のうちの菅谷工務店からの振込入金等による入金は、件数で九〇・二パーセント、金額で九二・四パーセントといずれも九〇パーセント以上の圧倒的多数を占めている。そして、C区分については、証拠上それがA区分ないしB区分に該当するとまでは認められないものであるが、そうであるからといつて原告関係者等でない者からの入金であると断定するだけの証拠があるわけではなく、また、E区分のうちの菅谷工務店からの振込入金等による入金以外の入金も、証拠上入金者の判明しないものであるが、やはり原告関係者等でない者からの入金とまで断定できる証拠があるわけではないのであつて、いずれもそれらが原告関係者等による入金である可能性も否定されていないのである。
ところで、証人常井茂男の証言により真正に成立したものと認められる甲第五、第九、第三八号証、同証言(後記採用しない部分を除く。)及び弁論の全趣旨によれば、訴外茂男は、原告が設立された昭和四二年二月から今日に至るまで一貫して原告の取締役の地位にあり、その間、本件各事業年度の後ではあるが、昭和四八年六月から昭和五二年九月までは代表取締役の地位にあつたこと、昭和四六年八月に代表取締役となるまでの間は、原告の事実上の代表者として、原告の業務の全般を取り仕切つていたことが認められ、同証言中の、原告の重要事項については代表者である訴外文男の決済を受けていたとする部分は、これを窺わせるに足りる客観的な資料がないことに照らし、容易に採用することができず、他に右認定に反する証拠はない。さらに、訴外茂男は、本訴において証人となり、また、上申書、陳述書(前掲甲第七二号証、成立に争いのない甲第七三号証)を作成しているが、それらの内容はいずれも原告の主張に沿うものである。このような諸点に鑑みると、訴外茂男は、原告といわば、一心同体であると考えて差し支えないものというべきである。本件各仮名預金の入金のうちに、原告関係者等ではない者からの入金があることは、本件各仮名預金が原告に帰属しないことの有力な根拠となりうるものであつて、原告に有利なものであること、訴外茂男が本件各仮名預金を管理していたことは前述のとおり当事者間に争いがないから、本件各仮名預金の入金のうち、原告関係者等ではない者からの入金を立証することは、原告にとつて比較的容易なものと考えられることに照らせば、本件各仮名預金の入金のうち、原告関係者等ではない者からの入金であるものが存在するとの確たる立証のない本件においては、本件各仮名預金への入金のうちには、原告関係者等ではない者からの入金はないものと推認することも許されるというべきであり、この推認を覆すに足りる証拠はない。そうすると、本件各仮名預金の入金は、原告関係者等による入金が全部占めているといつて差し支えないことになる。
なお、訴外茂男は、本件各仮名預金が存在した当時原告の専務取締役であつたから、本件各仮名預金の帰属主体が訴外茂男である場合においても、原告関係者等による入金が相当部分を占めることはあり得ることである。しかし、原告と訴外茂男は別個の法主体である以上、本件各仮名預金の帰属主体が訴外茂男であるとの前提に立てば、原告とは無関係の訴外茂男に独自の取引関係者による入金が相当数あつてしかるべきであり、別表二四の(一)ないし(九)記載の合計九九五件の入金のうちに、原告とは無関係の訴外茂男独自の取引関係者からの入金があれば、これを具体的に指摘した上で立証することは原告において比較的容易であることは右に述べたところから明らかであるが、このような入金であると立証されたものは一件もないのである。そうすると、本件各仮名預金の帰属主体が訴外茂男であるとの前提が不合理かつ不自然というほかないというべきである。
したがつて、本件各仮名預金の入金状況は、本件各仮名預金の帰属主体が、原告であつて、訴外茂男ではないことを示す根拠となるものということができる。
二 本件各仮名預金に取立入金された手形の振出人の帳簿の記載等
1 大半商店について
前掲乙第九ないし第一二号証、第二五ないし第二九号証、証人常井茂男の証言により真正に成立したものと認められる甲第一八号証によれば、大半商店の帳簿における原告及び鈴木洋子の名義の借入金についての借入れ(「貸方」欄)、返済(「借方」欄)、利息の支払い状況(「支払利息」欄)についての記載、原告の帳簿における大半商店の貸付金についての元金及び利息の受取計上額(「原告の受取計上額」欄)並びに別表二四との対応関係等(「別表二四との対応関係その他」欄)は、別表二八記載のとおりであると認められる。
ところで、商人がその業務の過程で作成する帳簿は、反証のない限り、事実を正確に記帳したものと解して差し支えないと考えられるから、右の大半商店の帳簿の記載はとりあえず真実が記載されているということができる。
もつとも、右の記載のうち鈴木洋子名義のものについては、以下に述べるとおり、原告名義のものと解することができる。すなわち、別表二八のうち、鈴木洋子名義のものだけを取り出したのが別表二九であるが、同表の借方欄の合計金額は四一七万円であり、貸方欄の合計金額は三六二万円と一致しない。借入れを意味する貸方がより多額である場合には、借入金の一部未弁済を意味するものとして、その帳簿の記載について合理的に説明する余地があるが、返済を意味する借方がより多額であることは、帳簿の記載それ自体からは合理的に説明することはできず、大半商店の帳簿の記載は、実質的には鈴木洋子名義と同一の貸主からの借入金が他にも存在していることを窺わせるものである。また、別表二九の支払利息の欄に記載の支払利息の額を見てみると、その合計金額は昭和四五年九月三〇日までの間に四一万円となつているが、同表の貸方の欄に記載のとおり、同日までの借入金は、同年七月三〇日に一〇〇万円、同年八月一〇日に一〇二万円、同年九月二日に一〇〇万円であり、その間、同年八月三一日五〇万円、同年九月一〇日に一〇二万円、同月二九日に五五万円、同月三〇日に一五〇万円が返済されており、その間の元金は最大で二五二万円であること、当初の借入れからわずか二か月間に支払われた利息であることを考えると、その支払利息は異常に高額であり、この点からも実質的には鈴木洋子名義と同一の貸主からの借入金が他にも存在していることが窺われる。そして、別表二八及び別表二九の「別表二四との対応関係その他」の欄によれば、大半商店の原告名義及び鈴木洋子名義の借入金のうちの相当数が本件各仮名預金により取立入金されていて、同様の事情を示していること、鈴木洋子名義の借入金が原告名義以外の借入金と実質的に同一であることを窺わせるに足りる証拠はないことに照らせば、別表二八記載の大半商店の原告名義及び鈴木洋子名義の借入金は、実質的には同一人からのそれと認めるのが相当である。また、鈴木洋子名義に比して原告名義の借入金が圧倒的に多いことに照らせば、他に特段の事情の認められない本件においては、鈴木洋子名義のそれは、実質的には原告名義のそれと認めるのが相当というべきである。
そうすると、大半商店の帳簿の記載は、鈴木洋子名義は原告名義であると解した上で真実であるとみるべきであり、大半商店の帳簿には、別表二八に記載のあるとおり、原告名義(鈴木洋子名義は原告名義と同視する。)の借入金の借入れ、返済、利息の支払いが記載されているから、真実貸主を原告とするその記載どおりの借入れ等が存在しているものと判断することができ、この判断を覆すに足りる証拠はない。そして、別表二八を一覧すれば明らかなごとく、大半商店の帳簿上出金(借方、借入金返済)となつているもののかなりの部分が本件各仮名預金に入金となつており、現実に大半商店から流出していること、同表の「別表二四との対応関係その他」の欄によれば、大半商店の帳簿上出金(借入金返済)となつているもののうち、二〇件(元金返済のみ一〇件、元金返済及び利息支払六件、利息支払のみ四件)、合計金額一三五〇万六七五〇円(元金返済一三二〇万一〇〇〇円、利息支払三〇万五七五〇円)については原告の帳簿上も返済金の受取計上とされており、また、原告からの貸付金のうち三件、合計金額六九〇万円についても両者の帳簿の記載は一致しているといつた事情は、右の判断を支持するものである。
ところで、別表二四、二八によれば、大半商店の原告からの借入金の返済のうち、手形の通数にして九〇通以上、合計金額にして九八〇〇万円余が本件各仮名預金において取立入金されていることになる。このように多数多額の取立入金があることは、右各手形が転々流通した結果として本件各仮名預金の帰属主体の取得するところとなつたものと考えるより、その帰属主体が大半商店の借入先である結果と解するほうが一般により合理的であると解される。
したがつて、本件各仮名預金の帰属主体は、大半商店の借入先である原告と推認して差支えないというべきであり、これに反する前掲甲第七二号証及び商人常井茂男の証言中の一部は、帳簿あるいは手形上の記載といつた客観性のある資料に基づかないあいまいなものであつて、採用するに足りず、右推認を左右するに足りる証拠はない。
2 大半商店以外の振出人について
(一) 久慈生コン
成立に争いがない乙第三五号証の一、二によれば、別表一六の(3)記載の手形について、振出人である久慈生コンの帳簿には、原告を振出先と記載している事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
(二) 蕨建材
成立に争いがない乙第二三号証によれば、別表一六の(6)ないし(8)記載の手形について、振出人である蕨建材の帳簿には、原告を振出先と記載している事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
(三) 同和興業建材
証人常井茂男の証言により真正に成立したものと認められる甲第八号証の一によれば、別表一六の(9)、(10)記載の手形について、振出人である同和興業建材の帳簿には、原告を振出先と記載している事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
(四) 金沢商事
証人所信男の証言により真正に成立したものと認められる乙第三四号証によれば、別表六の(2)4ないし20及び別表一六の(21)ないし(46)(ただし、別表六の(2)4ないし16と別表一六の(34)ないし(46)は同一)記載の手形(三〇通)について、振出人である金沢商事の帳簿には原告を振出先と記載している事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
なお、右乙第三四号証中には、金沢商事が訴外茂男から昭和四四年一〇月二一日に二〇〇万円を借り入れ、同月三一日に常陽友部支払いの二〇〇万円の小切手でこれを返済した旨の記載があり、証人常井茂男の証言中には、右小切手による二〇〇万円の返済が別表二四の(2)の同日欄の県信洋子口座に入金された二〇〇万円であるとする部分がある。しかし、右口座の普通預金元帳の写である前掲乙第一号証の同日の項の摘要欄に記載されている記号によれば、同日入金の二〇〇万円は現金による入金とされており、普通預金元帳は、反証のない限り、真実を記載したものと解されるところ、右の常井証言は客観的資料に基づかないものであるから、右乙第一号証の記載を覆えすに足る反証とはいえず、結局、別表二四の(二)の同日の項の二〇〇万円は、現金による入金であつて、右小切手の取立入金ではないと考えざるを得ない。したがつて、前記の金沢商事の帳簿上訴外茂男からの借入金と記載されている二〇〇万円の返済が本件各仮名預金に入金になつているとはいえない。この点に関し更に付言するに、右の帳簿の記載が真実であるとすると、訴外茂男が個人で昭和四四年一〇月二一日に金沢商事に対し二〇〇万円の貸し付けをしたことになるが、これは、後記三(8)の、訴外茂男には昭和四三年当時せいぜい一〇〇万円前後の蓄財しかないとの判断に反するかに見える。しかし、帳簿上の記載は、反証のない限り真実と認められるというだけであるし、また、多数回多額の貸付けであればともかく、二〇〇万円の貸付けを一回だけというのであれば、原告の資金を流用するなどの方法でも不可能ではないから、これをもつて、後記三(8)の判断に反するとまでいう必要はないと考える。
(五) 常磐生コン
証人内田守一の証言により原本の存在及び真正な成立を認め得る乙第四九号証の一、第五〇号証によれば、別表二四の(一)の昭和四三年一〇月二三日欄記載の五〇万円の手形について、振出人である常磐生コンの帳簿には、原告を振出先と記載している事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
(六) 右(一)ないし(五)記載の手形は、いずれも振出人の帳簿には原告を振出先と記載されているものであるところ、反証のない限り、手形振出人は振出先を正確には握し、それを記載しているということができるので、右の手形を受け取り、この取立てをしたのは原告と考えられる。そして、右の手形はいずれも本件各仮名預金において取立入金されているが、このことは、本件各仮名預金が原告に帰属することの根拠となり得るものである。
3 訴外茂男を振出先とする帳簿及び訴外茂男を受取人又は裏書人とする手形の存在について
本件各仮名預金が訴外茂男に帰属するものであれば、これに取立入金されている手形の相当部分について、同人が取得したものであることが客観的に明らかになるのが通常のことであると考えられる。
しかるに、本件の証拠中には、本件各仮名預金に取立入金されている手形の振出人の帳簿において振出先を訴外茂男としているものは見当たらず、また訴外茂男を受取人又は裏書人とする手形も見当たらない。
殊に、前掲甲第五号証、第八号証の一、第九、第三八、第三九、第五二号証、証人常井茂男の証言により真正に成立したものと認められる甲第四号証、第八号証の二、第二一、第二九、第三〇、第三四、第三五、第四〇号証、第四三ないし第四五号証、第四六号証の一及び二、第四七、第五一、第五八号証は、本件各仮名預金に取立入金されている手形の振出人及び裏書人のうち、菅谷工務店(菅谷忠徳)、茨城中央(代表者である訴外関)、同和興業建材(代表者である木山潤水)、金沢商事(代表者である金沢勉)、訴外立枝、訴外藤株、楢戸建材(代表者である楢戸明)、大半商店(代表者である田中裕之)、常磐生コン(代表者である磯崎勝雄)及び訴外関のいわゆる陳述書であるが、同人らは、それぞれが振出あるいは裏書に係る別表六の(1)の1、5ないし9、(2)の1ないし22、(3)の2ないし4、10ないし13、別表七の(1)の2ないし5、7、8、10ないし13、(2)の1ないし3、5ないし7、(3)の1、7、別表一六の(1)、(2)、(9)ないし(11)及び(21)ないし(47)、別表一八の(1)ないし(22)記載の手形並びに原告の反論(事実摘示五)6(一四)記載の昭和四三年一〇月二三日常陽洋子口座に取立入金された額面五〇万円の手形について、原告宛ではなく、訴外茂男宛に振り出し、あるいは原告とではなく、訴外茂男との金融取り引きにより訴外茂男に交付した旨を、その陳述書の中に記載している。しかし、右の手形について訴外茂男を振出先あるいは裏書先と記載してあることを示す帳簿等といつた客観的な資料については全く提出されていないから、右の陳述書の内容をそのまま採用するわけにはいかない。
また、前掲甲第四一号証の一、二、証人常井茂男の証言により原本の存在及び真正な成立を認め得る甲第二四、第二八、第三三、第三六、第三七、第四二、第五四号証の各一及び二は、別表六の(1)の8、10、(2)の1、23、24、別表七の(2)の7、別表一六の(20)、(47)記載の手形の写しであるところ、そこには、受取人又は裏書人として訴外茂男の名称の記載は全くない。また、他に本件各仮名預金に取立入金となつている手形上に、受取人又は裏書人として訴外茂男の名称が記載されていることを窺わせるに足りる証拠もない。なお、右の手形の写し上には、受取人あるいは裏書人として、本件各仮名預金の形式上の名義人となつている藤株正宏、田島洋一、鈴木洋子、長谷川孝男といつた名称が記載されているのであるが、本件各仮名預金の名義人には争いがなく、その帰属主体が争われている本件においては、右の記載だけから、右の名称は訴外茂男を指すから、訴外茂男の名称が記載されていることにほかならないといつた判断が許されないことは、いうまでもないことである。
以上によれば、本件各仮名預金に取立入金されている手形の振出人あるいは裏書人の帳簿の記載、右の手形面の記載という書面上の客観的な資料からは右各手形と訴外茂男との関連性は見いだし難いものといわなくてはならない。そして、別表二五の総計の項によれば、本件各仮名預金に入金されたもののうち、手形による入金を示すAないしCの区分は合計七九〇件あるが、手形による入金が七九〇件と多数にのぼるのに、右に述べたような客観的な資料により訴外茂男に帰属することが明らかになるものがただの一件も見い出せないということは、本件各仮名預金の帰属主体が訴外茂男でないことを示す根拠ということができる。
4 右1ないし3によれば、本件各仮名預金において取立入金されている手形の振出人の帳簿上の記載、手形面の記載等からは、本件各仮名預金の帰属主体は原告としても必ずしも合理性を欠くとはいえない一方、訴外茂男がその帰属主体であるとすればいかにも合理性を欠くものであり、右1ないし3記載の事情は、本件各仮名預金が訴外茂男よりは、原告に帰属することを合理づけるものというべきである。
三 本件各仮名預金の原資
1 前掲乙第一ないし第一六号証、第四五、第四六号証によれば、本件各仮名預金においては多数の入出金が繰り返され(そのうち、入金状況は別表二四記載のとおりである。)その残高は常時変動していたことが認められ、右認定に反する証拠はないから、本件各仮名預金は貯蓄を目的とするものではなく、商取引に係る代金等を取り立て、あるいは余剰資金運用による金融取引に係る返済金等を取り立てることを目的とするものと解される。
別表二四、二五によれば、D区分を除く本件各仮名預金への入金は、昭和四三年四月一〇日から昭和四七年一一月九日までの約四年七か月間で合計九六七件あり、その累計額は九億五八〇八万三四四二円にも及んでいる。
また、別表二四のうち、一件当たり五〇〇万円以上の入金を抜き出したのが別表三〇の(一)であり、一日当たり五〇〇万円以上の入金のある日(右の一件当たり五〇〇万円以上の入金も含む。)を抜き出したのが同(二)であるが、同(一)によれば、一件当たり五〇〇万円以上の入金は合計二〇件あり、そのうち三件は一〇〇〇万円を超え、さらに、そのうちの一件は二〇〇〇万円を超えており、同(二)によれば、一日当たり五〇〇万円以上の入金のある日は合計四七日あり、そのうち一一日は一〇〇〇万円を超え、さらにそのうちの一日は二〇〇〇万円を超えている。
以上によると本件各仮名預金の帰属主体は、相当に多額の商取引あるいは金融取引をしていたものということができ、したがつて、右のごとき取引ができるだけの資金力があるものというべきである。
以上の見地に立つて、原告及び訴外茂男のいずれが本件各仮名預金の帰属主体としての資金力を有していたかについて判断する。
2 原告の資金力
前掲乙第一七号証の六、第一九号証の五、第九八号証、成立に争いがない乙第一七号証の一ないし三、第一九、第二〇号証の各二、第七一(原本の存在も争いがない。)第七六号証、証人所信男の証言により真正に成立したものと認められる乙第三二号証によれば、原告は、四四年二月期の確定申告において、売上金額を四億二二五〇万円余、同期末における預金残高を一一〇〇九万七一一九円、受取手形について、そのうちに、額面五七〇万円のもの一通のほか四〇〇万円台のものが三通ある旨を申告したこと、四五年二月期の確定申告において、売上金額を七億九八五六万九六二一円、同期末における預金残高を三五八一万五八一三円、貸付金残高を一〇三八万円と申告したこと、四六年二月期の確定申告において、売上金額を一二億四六九七万一六〇二円、同期末における預金残高を一億六五七三万三五二三円、貸付金残高を一四九四万〇九七四円と申告したこと、四七年二月期の確定申告において、売上金額を一三億四三四二万七九五四円、預金残高を一億二八一二万八八二一円と申告したことが認められ、右認定に反する証拠はない。
原告の確定申告書によれば、四四年二月期以降年を追うごとに原告の売上金額が増大し、その取引の規模は拡大していつたものであり、そのうち売上金額が最も少ない四四年二月期においても、原告は額面五七〇万円の手形を初めとして額面四〇〇万円を超える手形を合計四通受け取つていたのであるから、本件各仮名預金が設定されていた期間を通じて、原告は、相当に多額の取引をしていたものということができる。また、原告の確定申告書によれば、四五年二月期、四六年二月期の期末において、原告はいずれも一〇〇〇万円を超える貸付金残高を有していたこと、昭和四六年一月二二日現在で、大半商店に対して二五〇〇万円以上の貸付金を有していたことは原告の自認するところであること、さらに、原告の確定申告書によれば、原告は四五年二月期末においては三〇〇〇万円を、四六年二月期末、四七年二月期末においてはいずれも一億円をそれぞれ超える預金残高を有していたことなどを合せ考えると、四五年二月期以降、原告は、どんなに少な目にみても、一〇〇〇万円を超える金額の金融取引をするだけの資力を有していたものと認められる。他方、本件各仮名預金の入金状況をみるに、別表三〇の(一)、(二)によれば、一件当たり五〇〇万円以上の入金額があつたのは、四四年二月期及び四五年二月期には一件もないが、四六年二月期には八件、四七年二月期には六件あつたこと、一日当たり五〇〇万円以上の入金額があつた日は、四五年二月期には一日、四六年二月期には二一日、四七年二月期には一九日で、いずれも、原告の右各期における売上金額、期末の預金残高、貸付金残高の変動とほぼ釣り合いがとれているといい得る状況にある。
以上によれば、原告を本件各仮名預金の帰属主体と解しても、資金力の面で不合理な点は全くないものということができる。なお、四四年二月期の期末における貸付金残高は明確ではなく、同期末における確定申告書上の預金残高は一〇〇〇万円余とあまり多くはないが、別表二四によれば、同期における本件各仮名預金の一件当たりの最高額の入金は昭和四三年七月一三日の二五五万四一三〇円であり、一日当たりの最高額は同月三日の二七〇万円(一〇〇万円が二口、七〇万円が一口)と他の期と比較するとかなり少額であつて、原告の同期における売上金額の少なさと見合つているということができるのであつて、右の預金残高等もそれだけでは、右の判断を左右しないことはいうまでもない。
3 訴外茂男の資金力
(一) 訴外茂男の事業について
原告は、訴外茂男が富施運輸の名称で事業をしていた旨主張し、前掲甲第七二号証及び証人常井茂男の証言のなかには、右に沿う部分も存在し、また、前掲甲第五〇号証の一ないし八、同証言により真正に成立したものと認められる甲第四九号証の一ないし二一及び弁論の全趣旨によれば、昭和四二年ころから昭和四六年ころまでにかけて富施運輸なる名称のもとに運送事業が営まれていたことが認められる。しかしながら、成立に争いがない乙第四一ないし第四三号証及び弁論の全趣旨によれば、訴外茂男は昭和四三年から昭和四七年までの分の所得税の確定申告書には、事業所得も事業損失も全く記載がないことが認められ、この事実からは、昭和四三年から昭和四七年までの間、訴外茂男が運送事業等の事業を行つていなかつたことが推認されるのである。そして、仮に訴外茂男が富施運輸の名称で運送事業を行つていたとすれば、訴外茂男と富施運輸との結び付きを示す客観的な資料が存在してしかるべきであるのに、このような資料は全く提出されておらず、わずかに、前述の証人常井茂男の証言と同人の作成の上申書である甲第七二号証が存在するのみである。そうすると、右の証言及び書証の信用性にも疑いが生ずるというべきであつて、結局右の推認はこれを覆し得ないというほかはない。したがつて、富施運輸が訴外茂男の経営する事業の名称であると認めることはできない。なお、証人常井茂男の証言により原本の存在及び真正な成立を認め得る甲第四八号証の一、二によれば、訴外茂男の名義で昭和四三年一一月ころ、トラツクが一台購入された事実が認められるが、右トラツクと富施運輸との結び付きを明らかにする客観的な資料はないから、右の判断を左右するに足るものではない。
そして、他に訴外茂男が事業を行つていたことについて主張も立証もない本件においては、訴外茂男は、格別の事業を行つておらず、ましてや相当に高額ないし多額の取引を行つていたということはなかつたものと考えて差し支えない(なお、原告は、訴外茂男が本件各仮名預金を利用して金融取引をしていた旨主張しているが、ここでは、本件各仮名預金を利用した金融取引はとりあえず考慮の対象外におく。)。
(二) 訴外茂男の蓄財について
原告は、原告の反論2(一)において、訴外茂男は、本件各仮名預金を開設した昭和四三年の時点で一三〇〇万円の蓄財があり、これが本件各仮名預金の原資となつた旨主張しているので、この点につき判断する。
(1) 中学、高校時代のアルバイト
原告は、訴外茂男が中学、高校時代にアルバイトとしてした食品、石鹸等の行商販売の収入による蓄財がその後の運用の結果、昭和四三年当時約五〇万円となつていた旨主張している。
そして、証人常井茂男の証言中には右に沿う部分もあるが、中学生あるいは高校生が行商をするなどという事実は極めて異例の事実というべきであるから、右の証言だけではこの事実を認定するに充分とはいえず、他に右事実を認定するに足りる証拠はない。
また、仮に訴外茂男が原告主張のような行商をしていたとしても、昭和二六年から昭和四三年まで年五パーセントの割合による複利で運用したとしても(一七年間の複利現価率は、〇・四三六二九六六九である。)昭和四三年当時五〇万円となるには、昭和二六年に二〇万円以上蓄積があることを要するが、昭和二六年当時二〇万円は相当に大金といつて差し支えなく、このような大金を一〇年余にわたり現金で保持していたとは考え難いから、通常は預金通帳等の客観的な資料によりその存在を裏付けられるものと考えられるところ、本件では右のような客観的な資料は何もないこと、右の行商が中学あるいは高校通学の合間という時間的に極めて制約された間に行われたものであり、中学生あるいは高校生がこのように時間的に制約された間に行つた行商により多額の利益を上げられるとは通常考えにくいこと、中学あるいは高校時代に真実このような大金を取得していたのであれば、訴外茂男の記憶に強く残つているものと考えられるから、同人がそれについて明確に証言することができるはずであるのに、同人のその点の証言は、必ずしも明確ではなく、ことに金額等について反対尋問の際の供述は極めてあいまいであり、したがつて、右の証言の信用性には疑いがあるといわなくてはならない。
そうすると、訴外茂男が中学あるいは高校時代に原告主張のような収入をあげ得たとは到底考えられないのである。
(2) 富士電気勤務中の給料等
原告は、訴外茂男が富士電気に勤務していた間の給料等から蓄積したものを運用して、昭和四三年の時点で約一五〇万円となつていた旨主張している。
そして、証人常井茂男の証言の中には、右に沿う部分も存在する。しかし、成立に争いがない甲第二六号証によれば、訴外茂男は昭和三四年四月二一日、訴外洋子との婚姻の届出をし、昭和三六年五月三日に長女香代が、昭和三九年三月一二日に長男孝之が出生したことが認められ、他方、成立に争いがない乙第八八号証によれば、総理府統計局(当時)の作成した昭和三七年の家計調査年報の世帯人員数別勤労者世帯年平均一か月間の収入と支出・全都市(別表二三の2参照)によると、昭和三五年の二人世帯の収入における貯金引出額が三四二六円、支出における貯金額が五五九六円(したがつて、その差額は二一七〇円となる。)、昭和三六年の二人世帯の収入における貯金引出額が三四四三円、支出における貯金額が六二二四円(したがつて、その差額は二七八一円となる。)、三人世帯の収入における貯金引出額が三三八八円、支出における貯金額が五七七八円(したがつて、その差額は二三九〇円となる。)、昭和三七年の三人世帯の収入における貯金引出額が四一一一円、支出における貯金額が七一三二円(したがつて、その差額は三〇二一円となる。)となつているから、昭和三五年から昭和三七年にかけて二人世帯あるいは三人世帯の平均的勤労者は月々三〇〇〇円前後の貯蓄しかできなかつたものと認められ、また、他に特段の立証のない本件においては、右期間の前後においても平均的勤労者の貯蓄額に著しい相違はないものと認めるのが相当である。本件全証拠によるも、訴外茂男が平均的労働者の収入、支出と差異があつたとは認められないから、富士電気勤務中の昭和二六年から昭和四一年二月までの間、同人は平均的労働者とほぼ同様の貯蓄ができたものと推認されるが、その額は合計でもせいぜい数十万円の単位であつて、一〇〇万円を上回るなどということは到底あり得ないものと考えられるのである。
(3) 富士電気の退職金、餞別等
原告は、訴外茂男が富士電気から退職した際に受け取つた規定の退職金及び餞別並びに餞別代わりに富士電気の規格外モーターを安価で譲り受けてこれを転売した利益が合計約一五〇万円ある旨主張している。
そのうち、訴外茂男昭和四一年二月退職に際し富士電気から受取つた退職金及び餞別が一九万一四〇〇円であることは、当事者間に争いがない。また、証人秋山俊介の証言により真正に成立したものと認められる甲第七七号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第七五、第七六号証及び証人常井茂男の証言の中には、訴外茂男が富士電気三重工場(以下単に「三重工場」という。)の規格外モーターを転売して利益を上げたとする原告の主張に沿う部分が存在する。
前掲甲第七五ないし第七七号証、証人秋山俊介の証言により真正に成立したものと認められる甲第七八号証の一ないし六、甲第七九号証の一ないし三、証人常井茂男及び同秋山俊介の各証言を総合すれば、訴外秋山を売主側の担当者として昭和四一年三月一九日、同年四月一七日、同年五月三日、昭和四二年一〇月二一日の合計四回にわたり、三重工場の規格外モーター類を谷村電気に販売した事実が認められ、これらに訴外茂男が個人的に関与したことが窺われないわけではない。
ところで、証人常井茂男の証言により真正に成立したものと認められる甲第一一、第一二号証、同証言及び弁論の全趣旨によれば、訴外茂男にとつて、富士電気退職時に受け取つた退職金及び餞別が、現在までにおける唯一の退職金及び餞別であることが認められ、したがつて、その具体的内容等について同人は、強く記憶しているものと推認できるところであり、その内容等については、当初より正確に陳述することができたものというべきであり、原告と訴外茂男が一心同体というべきであることは前記一で述べたとおりである。
そこで、本訴の進行をみるに、原告が同人の富士電気からの退職金及び餞別について初めて主張したのは、昭和五四年三月一二日の第一六回口頭弁論において陳述された第七準備書面(昭和五三年一二月一九日付け)においてであるが、右においては、富士電気からの退職金及び餞別等として受領した一九万一四〇〇円を著しく上回る一五〇万円を、格別の説明も加えることなく、主張しており、原告の富士電気からの退職金及び餞別に関する主張は信頼性に欠けるものといわれてもやむをえないものというべきである。また、右の当初の主張において規格外モーターを安価に譲り受けてこれを転売したことは全く触れられていないが、このことは、訴外茂男が規格外モーターの販売に関与して利益を得たという事実が存在しないことを疑わせるものである。そして、仮に真実であれば当初よりその主張があつても当然と考えられる右規格外モーターの転売による利益についての主張は、富士電気からの正規の退職金及び餞別についてこれを明らかにする客観的な資料(成立に争いがない甲第七四号証、原本の存在及び成立に争いのない乙第八九号証)が存在し、これにより右一九万一四〇〇円であることが判明することが明らかになつたため、従来からの主張金額である一五〇万円を維持するために付け加えられた主張であると解されてもやむをえない面があるというべきである。そして、訴外茂男が、規格外モーターの販売に関与したことそれ自体について契約書あるいは資金の流れ等の客観的な資料があるわけではなく、さらに、これにより同人が利益を得たことについても客観的な資料のない本件においては、正規の退職金及び餞別以外に、同人に規格外モーターの転売による利益がなかつたものと判断せざるを得ず、前掲甲第七五ないし第七七号証、証人常井茂男及び同秋山俊介の各証言中の右判断に反する部分は、客観的な資料に基づかないものであつて、右説示に照らし採用できず、他に右判断を覆すに足りる証拠はない。
(4) 小宮工業所関係
原告は、訴外茂男が昭和二八年六月から昭和三六年三月までの間小宮工業所の名称で職人の世話役、まとめ役をして上げた収益がその後の運用の結果、昭和四三年当時約五〇〇万円となつていた旨主張し、証人常井茂男の証言の中には、右に沿う部分が存在する。
ところで、そもそも、小宮工業所なるものが存在したとの点についても、右の証言以外に的確な証拠はない。また、右の証言によれば、訴外茂男は、富士電気に午前八時から午後五時まで勤務し、一月に八〇時間も残業する月もあつたというのであるから、仮に原告主張のような仕事を行う小宮工業所なるものが存在したとしても、訴外茂男がこれを経営する時間的余裕があつたとは到底いい難い。さらに、昭和三六年から昭和四三年まで年五パーセントの割合による複利で運用しても(七年間の複利現価率は〇・七一〇六八一三三である。)五〇〇万円となるには、昭和三六年の時点で三五〇万円以上の原資が必要となるところ、右の証言によれば、同人が小宮工業所により上げた収益は、二〇〇万円前後というのであつて、その計算も一致していない。そして、右の証言によれば、小宮工業所においては職人一人あたり五〇〇〇円ないし一万円の世話料をとつていたというのであるが、成立に争いがない乙第九二号証によれば、昭和三六年の神奈川県における日雇労働者の日当の平均額は六五四円であることが認められ、また、昭和三六年以前の日当は同年と同額ないしはこれより少ないことは当裁判所に顕著な事実であるから、小宮工業所は、日当の七・六倍ないし一五・三倍あるいはそれ以上の世話料をとつていたことになり、右の証言における世話料はいかにも高額に過ぎそれを是認するに足りる事情の立証がないことからすれば、右の証言は到底信用することはできない。
以上によれば、小宮工業所に関する原告の主張に沿う証人常井茂男の証言は信用するに足りず、訴外茂男が小宮工業所なるものを経営して収益を上げたとは考えられない
(5) 訴外洋子の持参金
証人常井洋子の証言の中には、訴外洋子が訴外茂男との婚姻に際しての持参金が八〇万円であつたとする部分があるが、右持参金の存在について他に的確な証拠はないので、右の証言をそのまま信用することはできない。
(6) 美野里園関係
原告は、訴外茂男が昭和三四年五月から昭和三六年四月までの間経営した美野里園での収益及びその処分による代金がその後の運用の結果、昭和四三年当時約三二〇万円となつていた旨主張し、証人常井茂男、同常井洋子の各証言中には右に沿う部分も存在する。
証人村岡篤史(第一回)の証言により真正に成立したものと認められる乙第九三号証によれば、美野里園は経営不振のため、昭和三五年一二月に、中西file_5.jpgき子に、その営業権、設備、備品、在庫品等を含めて代金五五万円、そのうちの四五万円は同人が買掛金を肩代わりする(したがつて、訴外茂男が現実に取得する代金は一〇万円となる。)との約定で売買されたことが認められ、この認定に反する証人常井茂男の証言は、その主尋問においては、売買代金が二〇〇万円と明言しながら、反対尋問においては、売買代金が一切を含めて五五万円ではないかとの質問に対して明確な記憶がないとし、さらに、いかにも猪突の、当初横倉という人に売買する予定であつたのが債務不履行で何十万円かもらつて、それも含めて当時一〇〇万円前後になつたとするなど、前後に一貫性がなく、かつあいまいであつて、とてもそのまま信用するわけにはいかず、また、右の認定に反する証人常井洋子の証言も、同様にあいまいであつて、やはり信用できない。
そして、右の認定に照らせば、経営不振でわずか一年で売却せざるをえなかつたのであるから、訴外茂男が美野里園の経営により収益を上げ得たものと考えるほかない。また、右の認定によると、訴外茂男はその売買により一〇万円を受け取つたことは認められる。しかし、一般的に商売を始めるにあたつては、相当額の事前の投資が必要であり、訴外茂男が美野里園を開店するにあたつても、事前にある程度の投資をしていたものと推認されるところ、わずか一年で売却せざるをえない経営不振の状態にあつたのであるから、美野里園を経営していた間に右の投資を回収できたとは考え難い。そうすると、格別の立証のない本件においては、右の一〇万円は事前の投資の補填にあてられたものと推認される。
したがつて、訴外茂男が美野里園の経営及び処分により、蓄財したものとは考えられない。
(7) 中央コンクリート及び常井商店の経営参加による収益
証人常井茂男の証言により原本の存在及び真正な成立を認め得る甲第六六号証の一ないし七(ただし、甲第六六号証の一については成立のみ)によれば、訴外茂男は、昭和四一年六月に中央コンクリートに入社し、昭和四三年四月に同社を退社したこと、その間に得た給与は、合計一二三万二四七〇円、控除された社会保険料及び所得税額は合計六万六一八九円、その他の天引き額が合計九二八〇円であること(したがつて、同人の手取額は合計一一五万七〇〇一円となる。)が認められ、右認定に反する証拠はない。また、同人が常井商店からも給与を受けていた場合には、原告はこのことを容易に立証できるものと考えられるから、何ら立証のない本件においては、同人は、常井商店からの給与を受けていなかつたものというほかない。したがつて、右の一年一〇か月ほどの期間における訴外茂男の中央コンクリート及び常井商店からの実収入は、右一一五万七〇〇一円というほかないところ、同人が右収入のうちのいくばくかを貯蓄したことは否定できないとしても、五〇万は右金額の四三パーセントにも当たるうえ、前記(2)記載のとおり、同人は夫婦及び子供二人の四人家族であり、その生活費も考慮にいれると五〇万も蓄財できたとは考え難いところであり、したがつて、証人常井茂男の証言中の五〇万の蓄財ができたとする部分は、採用するわけにはいかない。
(8) 以上によると、前記(2)、(3)、(7)などのように、訴外茂男が昭和四三年までにいくばくかの蓄財をしたこと自体は否定し去るわけにはいかない。
しかし、前記(3)に述べた富士電気退職の昭和四一年二月から、前記(7)に述べた中央コンクリート入社の同年六月までの間は、弁論の全趣旨によれば、訴外茂男は収入を得ていなかつたものと認められるから、前記(2)、(3)の蓄財のうちのいくばくかはその間の生活費及び富士電気退職後の帰郷旅費といつたものに消費されてしまつたと推認することができる。そうすると、前記(2)、(3)記載の蓄財は、その金利や運用益を考慮しても、昭和四三年当時合計一〇〇万円を超えることはなかつたと考えられる。
また、成立に争いがない甲第六四号証、証人常井茂男の証言により真正に成立したものと認められる甲第六五号証の二によれば、同人は、原告の設立(昭和四二年二月)に際して四五万円を出資しており、この四五万円は、同人の個人的な蓄財から拠出されたものと考えられるのであるが、前記(7)記載の蓄財は、どんなに多くみても四五万円を超えることはないと考えられる。
したがつて、訴外茂男の蓄財は、その運用益といつたものを考慮にいれても、昭和四三年当時、せいぜい一〇〇万円前後と認めるのが相当である。
なお、付言するに、原告の主張によれば、訴外茂男の蓄財は、昭和四三年当時約一三〇〇万円あつたというのであるが、証人常井茂男の証言では、訴外茂男は昭和四一年ころから金融取引を始めたというのであるから、その運用利益を年一〇パーセントと仮定しても、同人は昭和四一年の時点では約一一〇〇万円弱の原資がなければならないことになるところ、このように多額の資金が真実同人に帰属してたのであれば、その全部とはいえないまでも相当部分について、前記一記載の原告と同人との関係に照らし、原告において単に訴外茂男の供述だけでなく、より客観的な資料により、その存在を立証できるものと考えられるのであり、しかも、本件においては、昭和五四年三月一二日の第一六回口頭弁論期日に陳述された被告の同日付けの準備書面には、原告の主張する右一三〇〇万円がどのように保有されていたかを明らかにされたい旨の被告からの求釈明が記載されているのである。しかるに、原告は、本件口頭弁論終結日(昭和六一年一一月四日)まで、ついにこれを明らかにするに足りる的確な資料を提出しなかつたのであるが、このことは、実は、原告の右主張のごとき蓄財が存在しなかつたことによるものと解されるのである。
そうすると、昭和四三年当時の訴外茂男の蓄財は、先に述べたとおり、せいぜい一〇〇万円前後というほかない。
(三) 訴外茂男の借入金について
訴外茂男が別表一二記載のとおり金融機関から借入れをしていたことは、当事者間に争いがない。
同表によれば、同人は、合計四六〇〇万円もの借入れ(以下「本件借入金」という。)をしたものであるが、本件全証拠によるも、本件借入金が本件各仮名預金に入金され、あるいは本件各仮名預金に取立入金された手形の振出原因となつた金融取引の原資となつたとの事実(以下(三)において「同事実」という。)を具体的に窺わせるものは全くない。そして、前記一記載の原告と訴外茂男との関係に照らせば、本件借入金の使途について、原告は主張、立証が可能であると考えられるのに(現に、原告は、本件借入金ではないが、証人常井茂男の証言により、真正に成立したものと認められる甲第一〇号証の一、同証言により原本の存在及び真正な成立が認め得る甲第一〇号証の二ないし一〇により、同人が関与した資金の流れを立証しているのである。)同事実の立証がないことは、そもそも右同事実が存在しないことを示すものというほかない。証人常井茂男の証言中同事実が存するとの部分は、客観的な資料に基づかないものであつて、容易に採用し難い。
したがつて、本件借入金は、本件各仮名預金の原資ではないものというほかない。
(四) 訴外藤株からの預り金について
原告は、訴外茂男は昭和四三年ころより訴外藤株からの預り金を預かつており、その額は昭和四五年後半には約二〇〇〇万円あつて、これが本件各仮名預金の原資となつている旨主張し、証人藤株正宏の証言により真正に成立したものと認められる甲第二〇号証、同証言、常井茂男及び同常井洋子の各証言中には、右に沿う部分も存在する。
前掲各証拠によれば、訴外藤株は手形の取扱い等の知識がない、あるいはその取立て等が面倒なために訴外茂男に手形等の管理を委ねたと言うのであるが、右藤株証言によれば、訴外藤株は、昭和三八年ころから継続して砂利の採取、販売業をしていたことが認められるから、同人は、昭和四三年までの五年間に相当数の手形を扱つたものと推認される。そうすると、同人が手形の取扱いの知識がないとは到底考えられないし、また、手形の取立ては、取引銀行に取立依頼をすれば足りるもので、取扱いにそれほど困難な点はないものと考えられるから、同人が訴外茂男に対して、資金を預けたことの理由とするところは首肯することができない。
また、前掲各証拠によれば、原告主張の預り金については、訴外茂男が自由に使用することができ、同人はそれに対して利息を支払う必要がないばかりか、訴外藤株は、右の預り金についての事務をしている訴外洋子に対して月八万円の手当を支払つていたというのであるが、前掲甲第六六号証の三ないし七によれば、訴外茂男が中央コンクリートに営業部長として勤務していた昭和四一年七月から昭和四三年四月までの一か月の本給が四万五〇〇〇円であることが認められ、これと比較すると訴外洋子の受け取つていたという月八万円は高きに過ぎるものというべく、最高時で約二〇〇〇万円の資金を自由に使用できたというのであるから、その運用による利益だけでも相当の経済的利益となるのに、このような多額金員の支払を更にしなければならない特段の事情について主張、立証のない本件においては、前掲各証拠中の訴外茂男が右の預り金を自由に使用できたこと及び訴外藤株が訴外洋子に月八万円を支払つていたとする部分は、それ自体不合理で信用することができない。
さらに、証人常井茂男及び同藤株正宏の各証言によれば、訴外藤株は、昭和四六年一月ころに手形の不渡りを出していることが認められるところ、前掲甲第二〇号証、右藤株証言では、訴外藤株は、右の預り金を昭和四五年八月ころから昭和四六年五月ころまでの間に返済してもらつたというのであり、右の預り金の全額の返済を受けないで不渡りをだすということは極めて不自然なことであり、このことは、右の預り金が存在していないことを窺わせるものである。また、証人常井茂男の証言中には、右の預り金は、昭和四五年後半には約二〇〇〇万円となつていたが、これを同年八月から同年一一月ころまでの二、三か月間のうちに返済したとする部分があるが、二〇〇〇万円もの大金を返済したのであれば、その原資、返済方法等を客観的な資料に基づいて立証することが可能なものと考えられるところ、この点を立証する的確な証拠が全く提出されていない。そうすると、二〇〇〇万円返済の事実自体が存在しないことを窺わせるものである。
以上によれば、右の預り金についての前掲各証拠は、それ自体合理性がないなど、信用できないものである。
そして、証人藤株正宏の証言中には、訴外藤株は、原告に掛け売りの形態で砂利等を販売していたこと、右売掛金は期日、期日にきちんと支払われておらず、同人が資金を必要とする場合に、訴外洋子または、訴外茂男から必要な額が支払われていたとする部分があり、右の預り金なるものの実態は、訴外藤株の原告に対する売掛金と理解することも可能であり、また、このように解すれば、支払期日のきていないものは、同人に不渡りが出ようとも支払われなければならない理由はないから、前掲甲第二〇号証及び右証言中の預り金は、昭和四六年五月ころまでに支払われたとする部分について合理的に説明することが可能となり、また証人江口育夫の証言により真正に成立したものと認められる乙第八一号証は右理解に沿うものであり、原告の主張する右の預り金はそもそも存在しなかつたものというほかない。
(五) 右(一)ないし(四)によれば、訴外茂男は、本件各仮名預金の帰属主体としてこれを利用しての金融取引を行えるだけの資金力を有していたものとは認め難い。
4 右1ないし3によれば、原告は本件各仮名預金の帰属主体となりうべき資金力を有しているといい得るのに対し、訴外茂男は、その資金力を有していないということができる。
四 以上一ないし三に述べたところによると、本件各仮名預金の入出金状況、手形振出人及び裏書人の帳簿上及び手形面上の記載並びに資金力のいずれにおいても、本件各仮名預金の帰属主体を、原告であるとすれば合理性を欠く点がないのに対し、これを訴外茂男とすれば、相当に不合理であるということができるから、本件各仮名預金の帰属主体は、原告と判断するのが相当である。前掲甲第七二号証、証人常井茂男及び証人常井洋子の各証言中の右の判断に反する部分は、右一ないし三の説示に照らし、採用できない。
以下において、右の判断に抵触するかにみえる事情に関し、若干付言する。
まず、前掲甲第一九号証の二、乙第二九号証、第八五号証の一ないし三によれば、原告の帳簿の中に、「ST」という記号が付されているところがあることが認められるが、前掲乙第二九、第八三号証によれば、原告の普通預金勘定のうち、常陽岩間の原告名義のものの昭和四五年六月一〇日の項には「貸付け金(S・T)FM送金」として八二〇万〇一〇〇円の払出しが記載され、これに対応して総勘定元帳の同日の項には、「普預岩常FMO」として八二〇万円が記載されている事実が認められ、右事実によれば、原告がFMコンクリートに対し直接八二〇万円を貸付けたものと解されるから、原告の帳簿上「ST」という記号が付されていることをもつて、原告と訴外茂男間の取引を示したものとはいえず、むしろ、原告の取引について、訴外茂男が関与したことを備忘的に示すものと解されるのであつて(なお、「S・T」という記号は、常井茂男又は専務取締役常井の略号と解される。)前記判断を左右するものではない。
次に訴外茂男が本件各事業年度のころ原告の事実上の代表者として、原告の業務の全般を取り仕切つていたことは前記一に述べたとおりであり、また、弁論の全趣旨によれば、原告は、比較的小規模の同族会社であることが、認められるところ、このような会社においては、妻その他の経営者の家族が会社の業務を手伝うことは往々にしてあることは公知の事実といつても差し支えなく、また、このような会社においては、代表者の自宅で取引がされたとしても、当該取引が会社のものではなく、代表者個人のものであるとは当然にはいえないことは明らかであるから、本件各仮名預金に関する事務を現実に行つていたのが、訴外茂男の妻である訴外洋子であること、本件各仮名預金に取立入金された手形に関する取引が訴外茂男の自宅で行われたことがあるとしても、前記判断を左右するものではない。
さらに、原告は、本件各仮名預金が解約された後にそのうちの四〇〇〇万円以上が、常井茂男、鈴木孝之及び磯崎光夫の名義で本件株式投資の資金として利用されていると主張する。しかし、本件株式投資が原告の計算のもとにされていると解する余地もないわけではないし、仮に原告主張のとおり本件株式投資が訴外茂男の計算のもとに行われているとしても右の四〇〇〇万円以上の金員が、原告から訴外茂男へ貸し付けられたか又は賞与として交付されたものと解することができるのであつて、右主張をもつて、本件各仮名預金帰属に関する前記判断を左右するに足りない。
また、本件各仮名預金が設定される以前に訴外茂男の個人名義の預金口座において、本件各仮名預金における同様の手形の取立入金がされていたとの原告の主張についても、本件各仮名預金が設定されていなかつたために、原告の事実上の代表者であつた同人が、本件各仮名預金開設前、一時便宜上、自己の個人口座を利用したものと解し得るから、前記判断を左右するものではない。
なお、本件各仮名預金において取立入金されている手形は、訴外茂男個人との取引に係るものであるとする前掲甲第四、第五号証、第八号証の一、二、第九、第二〇、第二一、第二九、第三〇、第三四、第三五、第三八、第三九、第四〇号証、第四三ないし第四五号証、第四六号証の一、二、第四七、第五一、第五二、第五八、第七二号証は、客観的な裏づけを欠くもので、前記一ないし三の説示に照らして、前記判断を左右するものではない。
第三本件各仮名預金に取立入金された各手形についての具体的判断
第二の一、四記載のとおり、原告は本件各事業年度のころ、事実上訴外茂男が経営していた同族会社であるから、本件各仮名預金が原告に帰属するとしても、そこで取立入金された手形のうちに、同人に帰属する手形が混入している可能性が全くないわけではない。そこで、原告の反論(事実摘示五)5ないし7において、訴外茂男に帰属する旨主張している手形(ただし、同6(16)で主張の別表六(3)の13記載の手形は、本件各仮名預金において取立入金されておらず、そのことは当事者間に争いがない。)について、同人に帰属すると認め得るかを判断する。なお、本件各仮名預金は、第二に判断したとおり、原告に帰属するものであるから、これに取立入金されている手形は、特段の主張、立証のないかぎり原告に帰属するものと解するほかない。
一 原告が訴外茂男において茂男個人金融取引により取得したと主張する手形について
1 別表六の(1)ないし4、9、10、(2)1ないし3、21ないし24、(3)2ないし4、10ないし12(原告の反論6(一)ないし(三)、(六)ないし(九)、(一一)ないし(一三)、(一五)ないし(一七)で主張の手形)、別表七の(1)2ないし5、7、8、10ないし13、(2)1ないし7、(3)1ないし8(同7(一一)ないし(七)で主張の手形)、別表一六の(12)、(13)、(47)に記載の手形(同5(五)、(七)、(一一)で主張の手形)と本件各仮名預金において取立入金とはなつていない別表六の(3)13記載の手形(同6(一六)で主張の手形)が右のそれぞれの別表に記載のとおり振り出された事実は、別表七の(3)2ないし6、8記載の手形(同7(六)で主張の手形)を除き、当事者間に争いがない。
原告は、右の手形は訴外茂男が茂男個人金融取引により取得した旨主張し(右の括弧内掲記の主張参照)、前掲甲第二九、第三〇、第三五、第三八、第三九号証、第四三ないし第四五号証、第四六号証の一、二、第五一、第五二号証、第五四号証の一、二、第五八、第七二号証、成立に争いのない甲第六〇号証の一、二、証人常井茂男の証言により真正に成立したものと認められる甲第五三、第五九、第六一号証、同証言により真正な成立の認めうる甲第三一号証、同証言により原本の存在及び真正な成立を認め得る第三二号証の三、九、第四二号証の一、二、第五五号証、証人常井茂男及び同立枝静の各証言中には、右に沿うかにみえる部分がある。しかし、原告の主張によれば、茂男個人金融取引は本件各仮名預金を利用して行われていたというのであるが、第二の四記載のとおり本件各仮名預金は原告に帰属するから、同預金を利用しての取引は、特段の事情のない限り原告の取引である。しかるところ、訴外茂男個人に係る茂男個人金融取引が本件各仮名預金を利用して行われたとすべき特段の事情について立証があるとはいえないから、茂男個人金融取引が同預金を利用して行われているとはいえず、原告の右主張はいずれも採用できない(ただし、原告の反論7(六)で主張の別表七(3)2ないし6、8の手形については、後記2で更に判断を加える。)。
2 松山建設宛原告振出手形(原告の反論7(六)で主張の別表七(3)2ないし6、8記載の手形)
右の手形については、原告が松山建設宛に振り出したこと自体が争われているので、更にその点につき判断を加える。
右の手形に関しては、右1記載の証拠のほかに、右の手形が原告から松山建設に振り出されたことを示すものとして、松山建設から原告宛の領収書五通が書証(証人常井茂男の証言により真正に成立したものと認められる甲第三号証の一ないし五)として提出されている。ところで、前掲甲第三号証の一及び四のただし書欄には、買掛相殺として一万九六〇〇円及び七一万一六八〇円が、前掲甲第三号証の五の内訳欄には、相殺として八万四〇〇〇円が記載されているが、証人内田守一の証言により原本の存在及び真正な成立を認め得る乙第四七号証によれば、右買掛相殺あるいは相殺は、松山建設の帳簿上は、いずれも「砕石引去」の名目で計上されていることが認められるから、同一の内容を有するものと解される。そして、前掲甲第三号証の一においては、買掛相殺の金額を減算しているのに対し、前掲甲第三号証の四及び五においては、買掛相殺及び相殺の金額を加算しており、いずれかの取扱いが誤りであると解さざるをえない。右の甲第三号証一、四、五は領収書であるから、仮に作成者である松山建設において誤記したとしても、受領書である原告が帳簿に記載するときまでにはその誤まりに気付くものと考えられるところ、その記載内容は原告の利害に関わるものであるから、原告においてその訂正を求めるか正しい領収書の発行を求めるものと考えられる。そして、このように誤つた領収書を当事者の双方が看過したことについて、これを首肯させるに足りる立証はないから、一連の領収書である前掲甲第三号証の一ないし五が正規の領収書、すなわち、当該取引の際に現実に授受された領収書であるかについては、疑問が残るものというべきである。他方、前掲乙第四七号証によれば、松山建設においては、手形入金、現金入金及び銀行への振込入金を区別して記載していることから考えると、手形を受領して、直ちに第三者に割り引いてもらつた結果、現実には現金入金あるいは銀行への振込入金となつたとしても、右過程を省略して単に現金入金又は振込入金としていたとは、簿記の原則からいつても考え難いことである。また、証人常井茂男の証言中には、松山建設が原告から受け取つた手形のうちには、訴外茂男の自宅において割り引いたものがあつて、その原資は、本件各仮名預金であるとする部分があること、前掲乙第三、第四、第四七号証によれば、松山建設の帳簿上の現金入金又は振込金に完全に対応すると考えられる本件各仮名預金からの出金が別表三一記載のとおりとなることが認められるから、原告において松山建設宛に手形を振り出したと主張しているもののうちには、本件各仮名預金を原資として松山建設には現金が入金されたものが存在していたものと認めるのが相当である。そして、本件各仮名預金は、第二の四記載のとおり原告に帰属するものであるから、別表三一記載の松山建設の帳簿上の現金入金又は振込入金は、事実を正しく記載したものということができる。そして、右に述べたとおり証明力に問題のある甲第三号証の一ないし五以外に特段の立証はないから、右帳簿上の他の記載も正しいものと認めるのが相当であり、右各書証の記載は信用できないというほかない。
したがつて、右の手形は、松山建設宛に振り出されたものではなく、現実には松山建設に現金で支払われた支払済の債務を架空計上するために振出しを仮装した上、本件各仮名預金に取立入金されたものと認めるのが相当である。それゆえ、右の手形についての原告の主張は、この点でも採用できない。
3 帰属時期
原告は、右1記載の手形中、被告が受取手形計上漏れと主張しているもののうちの別表六の(1)2、3、(2)2、3、23、24、(3)2、10ないし12記載の手形について、仮にそれらが原告に帰属するものとしても、被告主張の帰属時期を争う旨主張している(原告の反論6(二)、(九)、(一二)、(一三)、(一五)、(一七))ので、以下その帰属時期について判断する。
(一) 中央コンクリート振出手形(原告の反論6(二)で主張の別表六の(1)2、3、(3)11記載の手形)
(1) 原告は、別表六の(1)2、3記載の手形が原告に帰属するとしても、途中に菅谷工務店が介在しているから昭和四四年二月末日時点で原告に帰属しているとは当然にはいえない旨主張している。
右の手形が昭和四三年一二月二〇日菅谷工務店に対して振り出されたことは当事者間に争いがない。前掲甲第四号証、証人常井茂男、同常井洋子の各証言によれば、本件各仮名預金に取立入金された菅谷工務店の振出手形は別表一七記載のとおり、借換えを繰り返していたことが認められるから、菅谷工務店は資金繰りに苦しんでいたと認めるのが相当である。そうすると、菅谷工務店は、右の手形を取得直後に割引いたものと推認できるところ、この推認を覆すに足りる証拠はないから、原告は、右の手形を昭和四三年一二月二〇日直後に取得したものと認めるのが相当である。
したがつて、原告の右主張は採用できない。
(2) 原告は、別表六の(3)11記載の手形が原告に帰属するとしても、途中に茨城中央が介在しているから昭和四七年二月末日時点で原告に帰属しているとは当然にはいえない旨主張している。
右の手形が昭和四六年一二月二〇日に茨城中央に対して振り出されたことは当事者間に争いがない。弁論の全趣旨(殊に原告の反論7(二)における原告の主張)によれば、右の手形が振り出された当時、茨城中央は資金繰りの関係でいわゆるサイトが三か月の手形を支払期日まで眠らせておけず、直ちにこれを割り引く状態にあつたことが認められるから、サイトが四か月の右の手形もまた振り出された直後に割り引かれたものと推認できるところ、右推認を覆すに足りる証拠はないから、原告は、右の手形を昭和四六年一二月二〇日直後に取得したものと認めるのが相当である。
したがつて、原告の右主張は理由がない。
(二) 訴外吉田振出手形(原告の反論6(九)で主張の別表六の(2)2、3記載の手形)
原告は、右の手形が原告に帰属するとしても、途中に大半商店が介在しているから昭和四六年二月末日時点で原告に帰属しているとは当然にはいえない旨主張している。
右の手形が昭和四六年二月二五日に大半商店に対して振り出されたことは当事者間に争いがない。前掲甲第五二号証及び弁論の全趣旨によれば、大半商店は、昭和四五年七月ころには手形の不渡りを出すなど右の手形が振り出された当時資金繰りが非常に苦しかつたことが認められるから、右の手形は、その振出し後直ちに(すなわち、昭和四六年二月中に)割り引かれたものと推認されるところ、右推認を覆すに足りる証拠はないから、原告は、右の手形を昭和四六年二月中に取得したものと認めるのが相当である。
したがつて、原告の右主張は採用できない。
(三) 大周汽缶振出手形(原告の反論6(一二)で主張の別表六の(2)23記載の手形)
原告は、右の手形が原告に帰属するとしても、途中に下館生コンが介在しているから、昭和四六年二月末日の時点で原告に帰属しているとは当然にはいえない旨主張している。
右の手形が昭和四六年一月一五日に振り出されたことは当事者間に争いがない。前掲甲第四一号証の一、二によれば、右の手形の受取人欄には田島洋一と記載されていて下館生コンが受取人とされていないことが認められ、他に右の手形が下館生コンに振り出されたことを認めるに足りる的確な証拠はない。そして、田島洋一は、本件各仮名預金の中の田島口座の名義人であり、本件各仮名預金が原告に帰属することは第二の四のとおりであるから、右の手形は、田島洋一宛として実際には原告宛に振り出されたものというべく、振出しと同時に原告に帰属したものと考えられる。
したがつて、原告の右主張は採用できない。
(四) リコー建設振出手形(原告の反論6(三)で主張の別表六の(2)24記載の手形)
原告は、右の手形が原告に帰属するとしても、途中に株式会社石田工務店及び下館生コンが介在しているから、昭和四六年二月末日の時点で原告に帰属しているとは当然にはいえない旨主張している。
右の手形が昭和四五年一一月一五日に株式会社石田工務店に対して振り出され、右石田工務店から下館生コンに譲渡されたことは当事者間に争いがない。ところで、右石田工務店、下館生コンともに右の手形の支払期日を待たずにこれを譲渡していることに照らせば、右石田工務店、下館生コンともにその取得の当時には資金繰りが楽でなかつたものと推認できるから、いずれもその取得の時から比較的短期間のうちにこれを割り引いたものと推認できるものというべきである。そして、右の推認を覆すに足りる証拠はないから、原告は遅くとも昭和四六年二月末日までに右の手形を取得したものと認めるのが相当である。
したがつて、原告の右主張は採用できない。
(五) 那水工務店振出手形(原告の反論6(一五)で主張の別表六の(3)2、12記載の手形)
原告は、右の手形が原告に帰属するとしても、途中に訴外立枝が介在しているから、昭和四七年二月末日の時点で原告に帰属しているとは当然にはいえない旨主張している。
別表六の(3)2記載の手形が昭和四六年一〇月五日に、同表(3)12記載の手形が同年一一月二九日に訴外立枝に対して振り出されたことは当事者間に争いがない。前掲甲第四三号証、証人常井茂男の証言によれば、同年一〇月ころに同表(3)2記載の手形が、同年一一月ないしは一二月に同表(3)12記載の手形が、いずれも訴外茂男の自宅において割り引かれていることが認められるから、右の手形はいずれもそのころ原告に帰属したものと解するのが相当である。
したがつて、原告の右主張は採用できない。
(六) 友部工務店振出手形(原告の反論6(一七)で主張の別表六の(3)10記載の手形)
原告は、右の手形が原告に帰属するとしても、途中に訴外立枝が介在しているから、昭和四七年二月末日の時点で原告に帰属しているとは当然にはいえない旨主張している。
右の手形が昭和四六年一一月一六日に訴外立枝に対して振り出されたことは当事者間に争いがない。
訴外立枝が右(五)記載の手形をその振出しの日から一か月以内に割引きを受けていることは右(五)に述べたとおりである。この事実から、右の手形が振り出された同年一〇ないし一一月ころ訴外立枝は資金繰りが苦しく、その受取手形について遅くとも一か月以内に割引きを受ける状態にあつたものと推認できるところ、右の推認を覆すに足りる証拠はない。そうすると、訴外立枝は、別表六の(3)10の手形についても、その振出し後遅くとも一か月以内に割引きを受けたものというべく、原告は、遅くとも同年一二月中に右の手形を取得したものと認めるのが相当である。
したがつて、原告の主張は採用できない。
二 原告が、訴外藤株からの預り金として受け取つたと主張する手形について
1 別表六の(1)8(原告の反論6(五)で主張の手形)、別表一六の(4)ないし(8)、(14)ないし(17)、(19)、(20)記載の手形(同5(三)、(六)、(八)、(九)で主張の手形)が右の別表に記載のとおり振り出された事実は、当事者間に争いがない。
原告は、右の手形は、いずれも訴外茂男が訴外藤株から受け取つたもので、原告の主張2(三)記載の預り金の一部である旨主張し(右括弧内掲記の主張参照)、前掲甲第三四、第七二号証、証人常井茂男及び同藤株正宏の各証言中には、右に沿う部分があるが、右の預り金なるものが存在しないことは、第二の三3(四)記載のとおりであるから、右主張は採用できない。
2 帰属時期
原告は、右1記載の手形中、被告が受取手形計上漏れと主張しているもののうちの別表六の(1)8記載の手形について、仮にそれが原告に帰属するものとしても、途中に訴外藤株が介在しているから、昭和四四年二月末日時点で原告に帰属しているとは当然にはいえない旨主張している(原告の反論6(五))。
右の手形が昭和四四年一月二九日に訴外藤株に対して振り出されたことは当事者間に争いがない。ところで、右の手形を原告が取得し、原告に帰属するに至つたものとすると、原告においてその取得年月日を比較的容易に主張、立証し得ると考えられるのに、原告は、抽象的に昭和四四年二月末日にはまだ原告に帰属していなかつたとのみ指摘するだけあつて、その点についての具体的な主張、立証はないから、右の手形は、昭和四四年二月末日までには、原告が取得し、原告に帰属するに至つたものと推認することができ、この推認を覆すに足りる証拠はない。
したがつて、原告の右主張は採用できない。
貸付金の返済等について
1 菅谷工務店振出手形(原告の反論5(一)で主張の別表一六の(1)、(2)記載の手形及び同6(四)で主張の別表六の(1)5ないし7記載の手形)
右の手形は菅谷工務店が振り出したものであることは、当事者間に争いがない。
原告は、右の手形は昭和四一年ころから訴外茂男が菅谷工務店との間でしていた金融取引による貸付金の返済として菅谷工務店が訴外茂男に振り出した旨主張し、前掲甲第四号証、第七二号証、証人常井茂男の証言中には、右に沿う部分があるが、右各証拠はいずれも客観的な資料の裏付けを欠くものである上、右の証拠相互間において、例えば、右手形の振出原因となつた貸付けの始期ついて食違いがあつて、いずれも容易に採用し難く、他に右の手形が訴外茂男に帰属するものであることを認めるに足りる証拠はない。
したがつて、原告の右主張は採用できない。
2 久慈生コン振出手形(原告の反論5(二)で主張の別紙一六の(3)記載の手形)
右の手形は久慈生コンが振り出したものであることは、当事者間に争いがない。
原告は、右の手形は訴外茂男のした久慈生コンに対する貸付金の返済として振り出されたものである旨主張し、前掲甲第一〇号証の二、証人常井茂男の証言中には、右に沿う部分がある。しかし、原告は、他方右貸付金の原資が本件各仮名預金のうちの常陽洋子口座から引き出された旨主張しており、それを前提に考えると、右口座が第二の四記載のとおり原告に帰属することから、右貸付金の原資は原告に帰属するといわなくてはならない。そうすると、右貸付金が訴外茂男に帰属するとするためには、特段の事情がなくてはならないところ、右事情については主張も立証もないから、右貸付金は原告に帰属するとせざるを得ず、右の手形がその返済として振り出されたとすれば、右の手形も原告に帰属することになる。要するに原告の主張をもつてしては、右の手形が訴外茂男に帰属するとは解しえない。
したがつて、原告の右主張は採用できない。
四 砂利採取場設備売買仲介の報酬ないし謝礼について
原告は、別表一六(9)、(10)記載の手形は同和興業建材が、別表六の(3)1、5記載の手形は常磐興産が、原告の反論6(一四)記載の昭和四三年一〇月二三日に常陽洋子口座に取立入金された額面五〇万円の手形は常磐生コンが、それぞれ同和興業建材と常磐生コン間の砂利採取場設備売買仲介の報酬ないし謝礼として、訴外茂男に対して振り出した旨主張し(原告の反論5(四)(1)、6(一四))、前掲甲第八号証の一、第二一、第七二号証、証人常井茂男の証言中には、右に沿う部分もある。そこで、右の手形の帰属主体について判断する。
1 同和興業建材振出手形(原告の反論5(四)(1))
別表一六の(9)、(10)記載の手形は同和興業建材が右の砂利採取場設備売買の仲介の報酬ないし謝礼として振り出したこと、右の売買契約書の立会人としての署名が肩書のない常井茂男であることは、当事者間に争いがない。
ところで、右の手形に関する原告の主張に沿う前掲甲第二一号証の一、証人常井茂男の証言は、客観的な資料の裏付けを欠くものであるから容易に採用し難い。また、証人常井茂男の証言により原本の存在及び真正な成立を認め得る乙第四九号証の二によれば、右契約書の冒頭には、売主として同和興業株式会社、買主として常磐生コンクリート株式会社と記載されているが、末尾の売買当事者の署名押印欄には、何らの肩書も付されずに右両社の代表者である木山潤水及び磯崎勝雄の氏名が記載されているから、立会人欄に肩書のない訴外茂男の個人名のみが記載されていても、これをもつて直ちに個人として売買の仲介をしたと断定できるわけではない。そして、前掲甲第八号証の一、証人内田守一の証言により真正な成立を認め得る乙第四九号証の一によれば、右の手形の受取人の名義は、原告となつていることが認められるから、右の手形は、原告に帰属するものと解するのが自然である。そうすると、右の手形が訴外茂男に帰属するものと認めることはできない。
したがつて、原告に右主張は採用できない。
2 常磐生コン及び常磐興産の振出手形(原告の反論6(一四))
(一) 原告反論6(一四)記載の額面五〇万円の手形は常磐生コンが右砂利採取場設備売買の仲介の報酬ないし謝礼として振り出した第一回目のものであることは、当事者間に争いがない。
ところで、右の手形に関する原告の主張に沿う前掲甲第二一、第七二号証、証人常井茂男の証言は、客観的な資料の裏付けを欠くものであるから容易に採用し難い。また、契約書上の立会人の記載が肩書のない常井茂男であることが原告の主張の根拠とならないことは右1に記載のとおりである。そして、常磐興産の帳簿上、右の手形の受取人は、原告であるとされていることは原告の自認するところであるが、右の記載からは、右の手形は、原告に帰属すると解するのが自然である。これに、右1記載のとおり、右売買契約の売主である同和興業建材がその仲介の報酬ないし謝礼として振り出した手形の受取人が原告であることをも併せ考えれば、右の手形は、原告に帰属するものと認めるのが相当である。
(二) 別表六の(3)1、5記載の手形は、原告主張のその他四通の手形とともに、常磐興産が右の砂利採取場設備売買の仲介の第二回目の報酬ないし謝礼として振り出したものであることは、当事者間に争いがない。
ところで、右の手形に関する原告の主張に沿う前掲甲第二一号証、証人常井茂男の証言は、客観的な資料の裏付けを欠くものであるから容易に採用し難い。また、契約書上の立会人の記載が肩書のない常井茂男であることが原告の主張の根拠とならないことは右1に記載のとおりである。
ところで、前掲甲第二一号証、乙第四九号証の一、証人常井茂男の証言によれば、右の手形は、昭和四六年ころ、訴外茂男が自宅を新築した際に、同人からその資金を援助してほしい旨の要請があつたために振り出されたことが認められ、右事実に照らせば、右の手形は、訴外茂男に帰属するものと理解することも可能である。
他方、前記1、2(一)記載のとおり、右売買仲介の報酬ないし謝礼として振り出された別表一六の(9)、(10)及び原告の反論6(一四)記載の額面五〇万円の手形は、原告に帰属するものと認められることに照らせば、右売買を仲介したものは、訴外茂男個人ではなく、原告と解するのが相当である。そして、別表六の(3)1、5記載の手形が右売買仲介の買主側の報酬ないし謝礼として第二回目のものであることは、当事者間に争いがないから、右の手形は、仲介者である原告に帰属するものと解することが可能である。そして、右の手形は、本件各仮名預金において取立入金されていて、右の手形が訴外茂男の自宅建築の資金として使用されていたことを示す的確な証拠はないから、右の建築資金を援助してほしい旨の要請は、常磐興産から金員を引き出すための単なる口実と理解することも可能であつて、この点からも、右の手形が同人に帰属するとすることは疑問が残る。
してみると、右の手形が訴外茂男に帰属すると断定するわけにはいかず、結局は、原告に帰属するとするほかないものというべきである。
(三) したがつて、原告の右主張は採用できない。
五 中古バスの購入代金の償還及び報酬ないし謝礼について(原告の反論5(四)(2))
別表一六の(11)記載の小切手は、同和興業建材が振り出したものであることは、当事者間に争いがない。
訴外茂男が同和興業建材の委託を受けてした中古バスの購入代金の償還及び報酬ないし謝礼のために同和興業建材が振り出した旨主張している。
ところで、前掲甲第八号証の二、証人常井茂男の証言中には、右に沿う部分も存在するが、右の証拠は、いずれも客観的な資料の裏付けを欠くもので容易に採用し難いし、他に、右の手形が訴外茂男に帰属するものと認めるには足りる証拠はない。
したがつて、原告の右主張は採用できない。
六 本件各建物の建築資金について(原告の反論5(一〇)、(一二)、6(一〇))
1 金沢商事振出手形(原告の反論5(一〇)、6(一〇))
別表6の(2)4ないし20、別表一六(21)ないし(46)(ただし、別表六の(2)4ないし16と別表一六(34)ないし(46)及び別表六の(2)17ないし20と別表六の(3)6ないし9とはいずれも同一)記載の合計三〇通の手形は金沢商事が振り出したことは、当事者間に争いがない。
原告は、右の手形は、訴外茂男が建てた本件各建物の建築資金の一部を負担する趣旨で金沢商事が振り出したものであるから、同人に帰属する旨主張し、前掲甲第九号証、第七二号証、証人常井茂男の証言中には、右に沿う部分もあるが、右の各証拠は客観的な資料の裏付けのないもので容易に採用し難い。そして、前掲乙第三四号証によれば、右の手形は、受取人を原告として振り出されていることが認められるから、反証のない限り、右の手形の受取人は原告と認めるのが相当である。
したがつて、原告の右主張は採用できない。
2 茨城中央振出手形(原告の反論5(一二))
茨城中央が原告の反論5(一二)記載の合計三〇通の手形を振り出したことは、当事者間に争いがない。
原告は、右の手形は、訴外茂男の建設した本件建物の建築費用の一部を負担する意思で振り出したものであるから、訴外茂男に帰属する旨主張し、前掲第五号証、証人常井茂男の証言中には、右に沿う部分も存在し、また、弁論の全趣旨によれば、本件各建物の建築費用をだしたのが訴外茂男であること及び茨城中央が本件建物の賃料を七年間免除されていたことが認められるから、右の手形は、本件各建物に対する賃料の支払いのために振り出されたものと評価できないわけではなく、同人に帰属するものと理解できないわけではない。
ところで、本件各建物の建築費用は、整地費用等を含めて約八〇〇万円であることは、被告において明らかに争わないところであるが、右の手形の額面合計は七五〇万円であるから、これが七年間の賃料に相当するものであれば、一年間の賃料は約一〇七万円となり、建築費用に対する利回りは約一三・四パーセントとなつて、これに右の手形は当初の三〇月間に支払期日がくるもので前払いとなる金利分をも考慮すると、賃料の前払いとしては高きに過ぎるものというべきである。また、成立に争いがない甲二七号証の一ないし六、乙第九六号証の一ないし四、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一〇一、第一〇二号証及び弁論の全趣旨によれば、本件各建物は昭和四五年四月ころに建築され、そのころから茨城中央が使用していたこと、訴外茂男は昭和五一年四月一日から昭和五四年三月三一日までの間に本件建物の賃料金を収受していないこと、同人は、昭和五七年分までの所得税の確定申告において、本件建物からの不動産所得はない旨の申告をしていることが認められ、証人常井茂男の証言中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らし採用できない。また、原告が右の手形により本件各建物の賃料が七年間免除されたと主張したのは昭和五二年一月三一日の第六回口頭弁論期日に陳述された同日付け第三準備書面においてであつて、作成日付が昭和五二年一〇月一日となつている甲第八〇号証(成立に争いがない。)は、原告の主張に沿うものであるから、同書証が真実そのころ作成されていたものであれば、その直後に提出されてしかるべきものであるのにかかわらず、昭和六〇年五月一五日の第四七回口頭弁論期日に初めて提出されていることに鑑みれば、その作成年月日についても疑問があり、右認定を左右するものではなく、また、成立に争いがない甲第八七号証一ないし三は、昭和六〇年三月一八日の第四六回口頭弁論期日に陳述された被告の同日付け準備書面において訴外茂男が昭和五七年分の所得税の確定申告において、本件各建物の賃料収入を申告していないことを指摘された後の同年八月五日にされた同年分の修正申告書であるから、そのまま採用するわけにはいかず、やはり、右認定を左右するものではない。そして、右認定事実に加えて、原告のような比較的小規模の同族会社(第二の四参照)においては、その代表者が自己の資産を無償で会社のために貸与することが少なくないことは公知の事実というべきであつて、訴外茂男が原告の事実上の代表者であることは第二の一のとおりであり、また、茨城中央が原告の下請業者であることは、当事者間に争いがないから、同人が本件建物を無償で茨城中央に貸与することは、あながち不自然なものともいい難いことを併せ考慮すれば、原告の主張する七年間の賃料の免除期間経過後(昭和五二年四月ころ以降)、少なくとも昭和五七年までは、本件建物の賃料を取得していなかつたものと認めるのが相当である。したがつて、訴外茂男は、少なくとも、昭和五七年ころまでは、本件各建物について賃料を取得する意思はなかつたものというべきであるから、右の手形は、賃料の前払いの趣旨で振り出されたものではないものと解するのが相当である。
ところで、前掲甲第五号証、証人常井茂男の証言によれば、茨城中央は、本件各建物の使用により、原告からの下請業務の発注の拡大が見込まれていたことが認められるから、右の手形は、発注の拡大に対する原告へのリベートと解せないわけではない。もつとも、右の手形をもつて、原告へのリベートではなく、訴外茂男へのリベートと理解できないわけではないが、同人は、本件各建物の所有者であつて、その利益還元としては、リベートではなく、賃料を支払えば足りるものであるから、右の手形をもつて、同人に対するリベートを見ることは、相当ではないものというべきである。
以上によれば、右各手形が訴外茂男に帰属すると断定することはできないから、右の手形は、原告に帰属するものとするほかない。
3 したがつて、原告の右主張はいずれも採用できない。
七 富施運輸宛原告振出手形について(原告の反論7(一))
別表七の(1)1、6、9記載の手形は原告が富施運輸に対して振り出したものであることは、当事者間に争いがない。
原告は、富施運輸は、訴外茂男が経営する事業体の名称であり、富施運輸に対して振り出された右の手形は、訴外茂男に帰属する旨主張している。
原告の右主張に沿う前掲甲第七二号証、証人常井茂男の証言は、客観的な資料の裏付けのないもので容易に採用し難い。そして、第二の三3(一)記載のとおり、富施運輸が訴外茂男の経営する事業体の名称とは認められないから、右の手形が訴外茂男に帰属していたと認めることはできず、原告に帰属するというほかない。
したがつて、原告の右主張は採用できない。
八 別表六、七記載の手形の取得時期について
別表六記載の手形のうち、前記一3、二2で判断した以外の手形については、原告はその取得時期を争つていない。そして、右の手形を原告が被告主張の時期とことなる時期に取得したことは原告に有利なものであり、その取得時期を立証することは原告において比較的容易であると考えられるのに、右の手形を原告が取得した時期が被告主張の時期と異なることを窺わせるに足りる証拠はない。
したがつて、前記一3、二2で判断した以外の別表六記載の手形も、被告主張の時期に原告が取得し、原告に帰属するに至つたものと解するのが相当である。
別表七記載の手形についても、右と同様の事情にあるのに、右の手形を原告が取得した時期が被告主張の取得時期と異なることを窺わせるに足りる証拠はない。
したがつて、右の手形も、被告主張の時期に原告が取得し、それ以後その原因となつた債務が存在しないものと解するのが相当である。
第四推計の必要性及び合理性
第二の四記載のとおり、本件各仮名預金は原告に帰属するものと認められるところ、当審の口頭弁論終結に至るまで、本件各仮名預金の入出金に示されている取引に関する帳簿類は提出されておらず、また、右入出金に示されている取引の具体的内容についてのその全体を明らかにするに足りる主張、立証はないから、本件各事業年度の原告の所得について、本件各処分の当時から現在に至るまで、これを実額で把握することは不可能というほかない。したがつて、本件各事業年度については、推計の必要性があるというべきは当然である。
また、本件各仮名預金の入出金に示されている取引の全体の具体的内容が判明していない以上、いわゆる本人率あるいは同業者率を利用しての比率法により、原告の所得を推計することは不可能というべきであるから、被告が確定申告における所得額を基に、資産負債増減法により、本件各事業年度における原告の所得を推計したことは、合理性を有するものというべきである。
第五四四年二月期処分について
一 四四年二月期の所得について
1 原告の四四年二月期についての確定申告における所得金額が三七二万七四二三円であること、昭和四四年二月末日現在の県信洋子口座の残高が六八八万一四五二円であること、四五年二月期に本件各仮名預金に取立入金された原告以外のものの振出手形が別表六(1)記載の合計三八九万九二四五円であり、原告の振出手形が別表七(1)記載の合計二九五万五三八〇円であることは、当事者間に争いがない。
2 第二の四記載のとおり、本件各仮名預金は、原告に帰属するものであるから、右1記載の県信洋子口座の残高六八八万一四五二円は、原告の四四年二月期末の原告の資産を構成する。
3 第二、第三記載のとおり、本件各仮名預金に取立入金された手形は、いずれも原告に帰属するものである。
ところで、別表六の(1)記載の手形が、原告に帰属した時期は、第三の一3(一)(1)、二2、八記載のとおり、四四年二月期である。したがつて、右各手形の合計金額三八九万九二四五円は、原告の四四年二月期末の資産を構成する。
また、別表七(1)記載の手形が四四年二月期末までに原告に帰属していたことは、第三の八記載のとおりであるから、右の手形の合計金額二九五万五三八〇円は、原告の四四年二月期末の負債を構成しない。
4 右1ないし3によれば、四四年二月期における所得金額は、前記1記載の各金額を合計した一七四六万三五〇〇円となる。
二 四四年二月期更正の適法性について
右一4記載のとおり、原告の四四年二月期の所得金額は一七四六万三五〇〇円となり、これは四四年二月期更正と同額であるところ、原告はその所得金額を争うのみで、この所得金額を前提とした場合における法人税額を争つてはいないものと解されるから、四四年二月期更正は適法である。
三 四四年二月期賦課決定の適法性について
前記一4記載の原告の四四年二月期の所得金額と原告の申告額との差額一三七三万六〇七七円は、弁論の全趣旨によれば、本件各仮名預金を利用して仮装隠ぺいしたものと認められるから、重加算税の対象となるところ、これに対応する重加算税の額は、別表八四四年二月期分欄に記載のとおり一五五万二二〇〇円となるから、この範囲内の四四年二月期賦課決定は適法である。
第六四六年二月期処分について
一 四六年二月期の所得について
1 原告の四六年二月期についての確定申告における欠損金額が六五六万九七四八円であること、昭和四六年二月末日現在の田島口座、久松茂口座及び長谷川口座の残高の合計額が二七九一万三四二九円であること、四六年二月期中に、県信藤株式会社口座から二〇〇万円及び県信洋子口座から一〇〇万円が払い戻され、いずれも訴外茂男名義の二〇〇万円および一〇〇万円の各定期預金の原資となつたこと、四七年二月期及びその翌期に本件各仮名預金に取立入金された原告以外のものの振出手形が別表六の(2)記載のとおり合計七一三万一七二〇円であり、原告の振出手形が別表七の(2)記載の合計五三二万〇三一八円であることは、当事者間に争いがない。
2 第二の四記載のとおり、本件各仮名預金は、原告に帰属するものであるから、右1記載の田島口座、久松茂口座及び長谷川口座の残高合計二七九一万三四二九円は、原告の四六年二月期末の資産を構成する。
3 第二の四記載のとおり、本件各仮名預金は、原告に帰属するものであり、訴外茂男が当時、原告の専務取締役であつたことは当事者間に争いがないから、本件各仮名預金に属する藤株式会社口座及び県信洋子口座から払い出された金員を原資として、訴外茂男名義の定期預金が設定された場合には、これを賞与と認定するのが相当である。したがつて、前記1記載の二〇〇万円及び一〇〇万円の合計三〇〇万円は、原告の四六年二月期の所得に加算すべきものである。
4 第二、第三記載のとおり、本件各仮名預金に取立入金された手形は、いずれも原告に帰属するものである。
ところで、別表六(2)記載の手形が原告に帰属した時期は、第三の一3(二)、(三)、(四)、八記載のとおり、四六年二月期である。したがつて、右の手形の合計金額七一三万一七二〇円は、原告の四六年二月期末の資産を構成する。
また、別表七(2)記載の手形が四六年二月期末までに原告に帰属していたことは、第三の八記載のとおりであるから、右の手形の合計金額五三二万〇三一八円は、原告の四六年二月期の負債を構成しない。
5 貸付金計上漏れについて
別表二八によれば、当初(昭和四五年三月)から昭和四六年二月末日までの貸方と借方の合計額の差額は貸方が二四一三万三六九〇円超過していることが認められ、これによれば、同日現在の原告の大半商店に対する貸付金は二四一三万三六九〇円であるというべきところ、同日現在の原告の帳簿上の大半商店に対する貸付金が一五万円とされていたことは、当事者間に争いがないから、右二四一三万三六九〇円から右一五万円を差し引いた二三九八万三六九〇円は、四六年二月期末の計上漏れの資産である
6 前期認定損貸付金戻入等
前掲乙第九八、第九九号証、原告の存在及び成立に争いがない乙第三〇号証によれば、原告は、四五年二月期の確定申告における決算確定額である資産負債の額に誤りを認め、別表一〇の修正後欄に記載のとおりに修正して、公表帳簿に記載したことが認められるから、同差額欄に記載のとおり、原告の四六年二月期の所得について、戻入あるいは認容すべきところ、売掛金の差額のうち、六六〇万八五七五円は株式会社協同通商に係るもので、四六年二月期以降入金のないことは、原告において明らかに争わないところであるから、認容できる額としては、差額欄に記載の一八八四万六四四六円から右六六〇万八五七五円を差し引いた一二二三万七八七一円となる。したがつて、原告の四六年二月期の所得について、戻入あるいは認容すべき金額は、抗弁5(一)(7)ないし(15)記載のとおり、戻入としては、貸付金の一〇三八万一八一〇円、不渡手形の四一一万八四二〇円、支払手形の二三万八〇〇〇円、借入金の三四八三万三二〇〇円、未払金の一五一万八八一二円及び未払費用の一三四万〇七二三円の合計五二四三万〇九六五円となり、認容としては預金の一四四〇万円、売掛金の一二二三万七八七一円及び買掛金の七八二万七三一〇円の合計三四四六万五一八一円となり、右五二四三万〇九六五円から右三四四六万五一八一円を差し引いた一七九六万五七八四円は、原告の四六年二月期の所得に加算すべきものである。
7 前期加算普通預金認容等
被告は、昭和四八年三月三〇日付けで、原告の四五年二月期の所得金額について、確定申告額を下回る再更正をしたので、抗弁5(一)(16)ないし(18)記載のとおり、前記加算の普通預金の二七四万二九三九円、受取手形の八一〇万三四五七円及び支払手形の一一九一万四八五五円の合計二二七六万一二五一円を認容として、減算すべき旨主張し、原告は、これを争つているが、弁論の全趣旨によれば、原告は、右再更正が本件各仮名預金を原告に帰属することを前提としていることから、争つているにすぎず、右金額を超える額を認容として減算すべき旨を主張しているわけではないから、被告主張のとおり、右二二七六万一二五一円は、原告の四六年二月期の所得金額から減算すべきものである。
8 売掛金過大計上について
被告は、昭和四六年二月末日現在で原告の帳簿に計上されている百竜建設に対する売掛金三三二〇万〇〇七二円については、昭和四五年末に決済されていて、右は過大計上に当たるから、原告の四六年二月期の所得金額から減算すべき旨主張しているところ、原告は右事実を明らかに争わないからこれを自白したものとみなす。そうすると、右三三二〇万〇〇七二円は、原告の四六年二月期の所得金額から減算すべきものである。
9 右1ないし8によれば、原告の四六年二月期における所得金額は、前記1記載の確定申告における損失六五六万九七四八円に、前記2記載の二七九一万三四二九円、同3記載の三〇〇万円、同4記載の七一三万一七二〇円及び五三二万〇三一八円、同5記載の二三九八万三六九〇円並びに同6記載の一七九六万五七八四円の合計八五三一万四九四一円を加算し、同7記載の二二七六万一二五一円及び同8記載の三三二〇万〇〇七二円の合計五五九六万一三二三円を減算した二二七八万三八七〇円となる。
二 四六年二月期更正の適法性について
右一9記載のとおり、原告の四六年二月期の所得金額は二二七八万三八七〇円となり、これは四六年二月期更正と同額であるところ、原告はその所得金額を争うのみで、この所得金額を前提とした場合における法人税額を争つてはいないものと解されるから、四六年二月期更正は適法である。
三 四六年二月期賦課決定の適法性について
前記一9記載の原告の四六年二月期の所得金額と原告の申告額との差額二九三五万三六一八円は、弁論の全趣旨によれば、本件各仮名預金を利用して仮装隠ぺいしたものと認められるから、重加算税の対象となるところ、これに対応する重加算税は、別表八の四六年二月期分欄記載のとおり二四三万三〇〇〇円となるから、これと同額の四六年二月期賦課決定は適法である。
第七四七年二月期処分について
一 四七年二月期の所得について
1 原告の四七年二月期についての確定申告における欠損金額が一一八七万六一三七円であること、昭和四七年二月末日現在の田島口座及び長谷川口座の残高の合計額が一七五七万九三四七円であること、四七年二月期に、田島口座から一七五万円及び長谷川口座から一五〇万円が払い戻され、いずれも訴外茂男名義の一七五万円及び一五〇万円の各定期預金の原資となつたこと、四七年二月期の翌期に本件各仮名預金に取立入金された原告以外のものの振出手形が別表六(3)記載のとおり合計一六四七万七三七六円であり、原告の振出手形が別表七(3)記載の合計五二〇七万九九四二二円であることは、当事者間に争いがない。
2 第二の四記載のとおり、本件各仮名預金は、原告に帰属するものであるから、右1記載の田島口座及び長谷川口座の残高一七五七万九三二七円は、原告の四七年二月期末の資産を構成する。
3 前記第二の四記載のとおり、本件各仮名預金は、原告に帰属するものであり、訴外茂男が当時、原告の専務取締役であつたことは当事者間に争いがないから、本件各仮名預金に属する田島口座及び長谷川口座から払い出された金員を原資として、訴外茂男名義の定期預金が設定された場合には、これを賞与と認定するのが相当であるから、前記1記載の一七五万円及び一五〇万円の合計三二五万円は、原告の四七年二月期の所得に加算すべきものである。
4 前記第二、第三記載のとおり、本件各仮名預金に取立入金された各手形は、いずれも原告に帰属するものである。
ところで、別表六の(3)記載の手形が原告に帰属した時期は、前期第三の一3(一)(2)、(五)、(六)、八記載のとおり、四七年二月期である。したがつて、右の手形の合計金額一六四七万七三七六円は、原告の四七年二月期末の資産を構成する。
また、別表七(3)記載の手形が四七年二月期末までに原告に帰属していたことは、前記第三の八記載のとおりであるから、右の手形の合計金額五二〇七万九四二二円は、原告の四七年二月期の負債を構成しない。
5 前期認定損売掛金戻入
第六の一8記載のとおり、四六年二月期の売掛金から百竜建設に対する三三二〇万〇〇七二円を減算したので、四七年二月期の期首売掛金が同額減少し、その結果、同期の売上高が同額増額することになるから、右三三二〇万〇〇七二円は原告の四六年二月期の所得金額に加算すべきものである。
6 前期加算預金認容等
第六の一2及び4記載のとおり、四六年二月期に普通預金計上漏れとして二七九一万三四二九円、受取手形計上漏れとして七一三万一七二〇円、支払手形計上漏れとして五三二万〇三一八円の合計四〇三六万五四六七円を加算したので、右四〇三六万五四六七円は原告の四七年二月期の所得金額から減算すべきものである。
7 事業税認定損
被告は、原告の四六年二月期に係る未納事業税は、二五九万八九六〇円と主張しているところ、原告はこれを争っているが、積極的にこれを超える額を主張しているわけではないので、被告主張のとおり、右二五九万八九六〇円は、原告の四七年二月期の所得金額から減算すべきものである。
8 前期加算貸付金認容
被告は、第六の一5記載の四六年二月期に貸付金計上漏れとして加算した二三九八万三六九〇円について、四七年二月期の翌期に回収しているので、認容として、原告の四七年二月期の所得金額から減算すべき旨主張しているところ、原告はこれを争うが、積極的に自己により有利な主張をするわけではないので、被告主張のとおり、右二三九八万三六九〇円は、原告の四七年二月期の所得金額から減算すべきものである。
9 右1ないし8によれば、原告の四七年二月期における所得金額は、前記1記載の確定申告における損失一一八七万六一三七円に、前記2記載の一七五七万九三四七円、同3記載の三二五万円、同4記載の一六四七万七三七六円及び五二〇七万九四二二円並びに同5記載の三三二〇万〇〇七二円の合計額一億二二五八万六二一七円を加算し、同6記載の四〇三六万五四六七円、同7記載の二五九万八九六〇円及び同8記載の二三九八万三六九〇円の合計六六九四万八一一七円を減算した四三七六万一九六三円となる。
二 四七年二月期更正の適法性について
右一9記載のとおり、原告の四七年二月期の所得金額は四三七六万一九六三円となり、これは四七年二月期更正と同額であるところ、原告はその所得金額を争うのみで、この所得金額を前提とした場合における法人税額を争つてはいないものと解されるから、四七年二月期更正は適法である。
なお、原告は四七年二月期処分は、行政不服審査法四〇条五項及び国税通則法九八条二項のそれぞれのただし書に規定する裁決における不利益変更禁止を実質的に潜脱するものと主張しているが、右処分は、四六年二月期処分に対する裁決により、同処分に異動が生じたためにされたものであることは、原告において明らかに争わないところであるが、同法七一条一号によれば、裁決等により、原処分に異動が生じた場合には、これに伴つて当該納税者の他の年度の課税標準又は税額等に異動が生ずる場合には、更正あるいは賦課決定ができるとされており、右処分は、右の法律上の根拠を有するものであるから、行政不服審査法四〇条五項及び国税通則法九八条二項のそれぞれのただし書に違反するものではないことはいうまでもない。
三 四七年二月期賦課決定の適法性について
1 無申告加算税について
原告が四七年二月期の法人税の確定申告をしたのが、昭和四七年五月一〇日であることは、当事者間に争いがないから、原告は、法人税法七二条一項に定める法人税の確定申告書の提出期限を徒過したものと認められるところ、弁論の全趣旨によれば、前記一1記載の原告の確定申告における損失の一一八七万六一三七円に同5記載の三三二〇万〇〇七二円を加算し、同7記載の二五九万八九六〇円を減算した合計一八七二万四九七五円が本件各仮名預金を利用した仮装隠ぺいに係らない所得金額と認められるから、これが無申告加算税の対象となるところ、これに対応する無申告加算税は、別表八の四七年二月期分欄九項記載のとおりとなるから、これと同額の四七年二月期賦課決定のうちの無申告加算税の賦課決定は適法である。
2 前記一9記載の原告の四七年二月期の所得金額四三七六万一九六三円のうち、右1記載の一八七二万四九七五円を差し引いた二五〇三万六九八八円は、弁論の全趣旨によれば、本件各仮名預金を利用して仮装隠ぺいしたものであると認められるから、重加算税の対象となるところ、これに対応する重加算税は、別表八の四七年二月期分欄八項記載のとおり三二四万八六〇〇円となるから、この範囲内の四七年二月期賦課決定のうちの重加算税の賦課決定は適法である。
第八 以上によれば、原告の請求は理由がないからいずれもこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 鈴木康之 裁判官太田幸夫及び裁判官加藤就一は転補につき署名押印することができない。裁判長裁判官 鈴木康之)
別表一
四四年二月期課税処分経緯表
<省略>
別表二
四六年二月期課税処分経緯表
<省略>
別表三
四七年二月期課税処分経緯表
<省略>
別表四
仮名預金一覧表
<省略>
(注) 昭和四四年四月一八日以前は二八九二
別表五
本件名仮名預金の入金原因別一覧表
A 原告が振り出した手形の取立入金
<省略>
B 原告の取引先が振り出した手形の取立入金
<省略>
C 取引先以外の者が振り出した手形の取立入金
<省略>
D 預金間振り替えによる入金及び預金利息の入金
<省略>
E その他
<省略>
F 右のAないしEの各表の総括表
<省略>
別表六 受取手形の明細
(1) 44年2月期
<省略>
(2) 46年2月期
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(2) 47年2月期
<省略>
別表七 支払手形の明細
(1) 44年2月期
<省略>
(2) 46年2月期
<省略>
(2) 47年2月期
<省略>
別表八 加算税計算表
<省略>
注1 端数計算上一〇〇円少なくなる。
別表九 仮装飾隠ぺい部分の金額(別表八順号四の金額)等の内訳表
(用語例)重………………仮装隠ぺい部分の金額であり、重加算税の課税対象となるもの
過少………過少申告加算税の課税対象となるもの(本件では加算・減算部分を通算するとマイナスとなるため課税されていない。)
無申告………無申告加算税対象となるもの(昭和四七年二月期分がこれに該当する。)
<省略>
別表一〇
四五年二月期の決算の修正
<省略>
別表一一の一
四五年二月期課税処分経緯表
<省略>
別表一一の二
四五年二月所得金額
<省略>
別表一二
借入一覧表(常井茂男分)
<省略>
(注)「茨相本店」は株式会社茨城相互銀行本店の略称である。
別表一三
本件各仮名預金からの1件当たり500万円以上の出金表
<省略>
別表一四 株式投資資金一覧表
<省略>
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<省略>
(注) 口座欄の常は常井茂男、鈴は鈴木孝之、磯は磯崎光夫の各口座を示す。
別表一五
入金件数一覧表
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別表一六
手形一覧表(1)
<省略>
以上
別表一七
管谷工務店よりの入金一覧表
<省略>
<省略>
(注) 矢印は同一の貸付金の借り換えと認められるものを示す。
別表一八
手形一覧表(二)
<省略>
別表一九
本件各建物の建築費
<省略>
別表二〇
物件目録
一 茨城県土浦市大字常名三八〇八番七
宅地 三五八平方メートル
二 同県筑波群谷田部町大字鬼ケ窪字大割
山林 九一一平方メートル
別表二一
松山建設発行の領収書
<省略>
別表二二
手形一覧表(三)
<省略>
別表二三
1 職員・労務者別勤労者世帯平均1か月間の貯金純増(全都市・職員世帯)
<省略>
(注) 家計調査年報(総理府統計局発行)の統計表「第4表 職員・労務者別勤労者別勤労者世帯年平均1か月間の収入と支出」に基づき作成した。
2 世帯人員数別勤労者世帯年平均1か月間の貯金純増(全都市)
<省略>
(注) 家計調査年報(総理府統計局発行)の統計表「第5表 世帯人員数別勤労者世帯年平均1か月間の収入と支出」に基づき作成した。
別表二四
本件各仮名預金の入金状況
(一)常陽洋子口座の入金状況
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(二)県信洋子口座の入金状況
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(三)藤株口座の入金状況
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(四)田島口座の入金状況
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(五)久松茂口座の入金状況
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(六)長谷川口座の入金状況
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(七)久松義男口座の入金状況
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(八)加藤口座の入金状況
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(九)大貫口座の入金状況
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別表二五 本件各仮名預金入金状況の割合表
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別表二六 E区分の入金細分表
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別表二七 A区分、B区分、C区分及び現金を除くE区分入金状況の割合表
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別表二八 大半商店の借入状況(数字の前の☆マークは鈴木洋子名義を示す)
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(注)取立手数料として100円差し引かれているので金額は一致しない。
別表二九 大半商店の借入状況(鈴木陽子名義分を抽出)
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別表三〇
本件各仮名預金の入金状況
(一)1件当たり500万円以上の入金表
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(二)1日当たり500万円以上の入金表
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別表三一 松山建設関係
松山建設の帳簿上の記載
本件名仮名預金からの出金
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